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「湛快」の版間の差分

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なお、『[[新古今和歌集]]』18巻雑歌下に、歌人として有名な[[西行]]が湛快と親しい関係であったことを窺わせる夢のエピソードが記されている<ref>阪本[2005: 248]</ref>。

なお、『[[新古今和歌集]]』18巻雑歌下に、歌人として有名な[[西行]]が湛快と親しい関係であったことを窺わせる夢のエピソードが記されている<ref>阪本[2005: 248]</ref>。



承安2年([[1172]]年)、湛快は別当職を甥で権別当の[[行範]](新宮別当家当主)に譲って隠居し<ref>阪本[2005: 244]</ref>)、承安4年([[1174]]年)に死去した(熊野速玉神社所蔵「熊野別当代々次第」)。

承安2年([[1172]]年)、湛快は別当職を甥で権別当の[[行範]](新宮別当家当主)に譲って隠居し<ref>阪本[2005: 244]</ref>)、承安4年([[1174]]年)に死去した(熊野速玉神社所蔵「熊野別当代々次第」)。享年76



== 脚注 ==

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2014年3月26日 (水) 09:57時点における版


︿1099 - 4︿1174181521[1]


1120[2]

41138[3]2114618[4]262051149[5]

1159宿宿7[6][7]

21162[8][9]

18西[10]

21172[11]41174)76

脚注

  1. ^ 阪本[2005: 247-248]
  2. ^ 阪本[2005: 235]
  3. ^ 阪本[2005: 237]
  4. ^ 湛快が本宮在庁→修理別当→権別当→別当という熊野三山の職制を辿って昇格してきた事実から、当時、熊野三山の職制が制度上かなり整備されていたと考えることができよう。
  5. ^ 阪本[2005: 239]
  6. ^ 阪本[2005: 242]
  7. ^ 阪本[2005: 241-242]、阪本[2010: 38-39]
  8. ^ 有名な「長寛勘文」にかかわる事件がこれである。詳細は阪本[2005: 421-422]を参照
  9. ^ 阪本[2005: 422]
  10. ^ 阪本[2005: 248]
  11. ^ 阪本[2005: 244]

参考文献

  • 阪本敏行「熊野別当湛快の生涯とその時代」(『熊野三山と熊野別当』、清文堂出版、2005年)。
  • 阪本敏行「熊野別当」(『熊野三山と熊野別当』、清文堂出版、2005年)。
  • 阪本敏行「治承・寿永の内乱と紀伊熊野 ―『平家物語』などの関係諸本における熊野関係逸話の物語性と事実性―」(『御影史学論集』35、御影史学研究会、2010年)。