益田克徳
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益田 克徳︵ますだ かつのり、1852年︵嘉永5年︶1月 - 1903年︵明治36年︶4月8日︶は、明治期の官僚、実業家。
経歴
佐渡奉行所の役人・益田鷹之助の次男で、益田孝の弟。佐渡生まれ。幼名は荘作。号は無為庵、非黙。1854年︵安政元年︶に父が箱館奉行所へ異動となったのに伴って、1855年︵安政2年︶江戸の親戚の家に出て、1858年︵安政5年︶に箱館に移る。1859年︵安政6年︶に父が外国方支配目付役に異動となったため江戸に戻る。 慶応年間、英漢学を修め海軍修業生となり榎本武揚・榎本軍に属する。箱館で捕らえられ江戸に護送され禁固百日に処される。1869年︵明治2年︶高松藩に預けられ慶應義塾に入り、高松藩教育掛となる。司法省に出仕して海上保険例を作成する。のちに民間に下り沼間守一の嚶鳴社に入り自由民権運動に参加。1879年︵明治12年︶東京海上保険会社勤務となり支配人となる。東京米穀取引所、王子製紙、明治生命、石川島造船所の取締役を歴任。参考文献
- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月 。(近代デジタルライブラリー)