「筑波 (コルベット)」を編集中
表示
この編集を取り消せます。
下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を公開して取り消しを完了してください。
最新版 | 編集中の文章 | ||
226行目: | 226行目: | ||
===1884年=== |
===1884年=== |
||
;演習航海(実験航海) |
;演習航海(実験航海) |
||
前年の12月18日、筑波にハワイ行きの演習航海が令達され、2月に出航した<ref name="M16報告書学術備考"/>。 |
前年の12月18日、筑波にハワイ行きの演習航海が令達され、2月に出航した<ref name="M16報告書学術備考"/>。本来は別の目的地を計画していたが、世界の陸海軍を悩ませていた脚気の問題を、栄養改善から解決する学説を持っていた海軍軍医の[[高木兼寛]]が上奏し、[[龍驤 (コルベット)|龍驤]]が[[龍驤 (コルベット)#遠洋航海(2回目)|脚気惨害を起こした時と似た同じ航路]]に変更されたものである。つまり、[[日本の脚気史#海軍|兵食改良]]による脚気予防効果を確認するための実験航海となった。高木は上官と下級兵員との献立の差を減らすことを指示した。さらに献立に洋食を、具体的には兵員に対しても肉類を増やし、パン食も採用した<ref>上級の士官が結核に罹りにくいのは、上官のみが肉類を多く食べていたため、と推測した。また、この当時の平民出の下級兵員らは肉食やパン食、牛乳に慣れていなかった。兵員からパンが極めて不評だったため、翌1885年からはパン食に代わり︵白米ではなく︶麦飯が提供された。</ref>。この航海実験の結果、大きな被害を出した龍驤の航海とは違い、乗組員総333人中、発病者は2人のみ<ref>十数人とする説もある。肉食や牛乳をあくまで拒んだものが罹患したとされる。</ref>、死亡者は無し、という好成績であり、世界の医学界に驚きを与え、高い評価を得た。
|
||
===1887年=== |
===1887年=== |