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*「こんな人の行く末にいいことがあるだろうか(いや、ない)」(「そのあだになりぬる人の果て いかでかはよくはべらむ」『紫日記』黒川本) |
*「こんな人の行く末にいいことがあるだろうか(いや、ない)」(「そのあだになりぬる人の果て いかでかはよくはべらむ」『紫日記』黒川本) |
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殆ど陰口ともいえる辛辣な批評である。これらの表記は近年に至るまで様々な憶測や、ある種野次馬的な興味(紫式部が清少納言の才能に嫉妬していたのだ、など)を持って語られている。本人同士は年齢や宮仕えの年代も10年近く異なるため、実際に面識は無かったとされることが多いが、面識の有無を証する文献はない。定子没後の清少納言の動静については、夫の[[藤原棟世]]と摂津に赴いたことが『清少納言集』から知られるが、同時に一条天皇からの使いが来たことも記されている。[[角田文衞|角田文衛]]は、定子の遺児・[[媄子内親王]]、[[脩子内親王]]を養育するために再出仕し、そこで紫式部らとの接触があったと推定しているが根拠はない<ref>{{Cite journal|和書|author=角田文衛|year=1970|title=晩年の清少納言|journal=王朝の映像|page=390-430}}</ref>。この清少納言評に関しては、『紫式部日記』の政治的性格を重視する視点から、清少納言の『枕草子』が故皇后・[[藤原定子|定子]]を追懐し、紫式部の主人である中宮・彰子の存在感を阻んでいることに苛立ったためとする解釈もある<ref>山本淳子「『紫式部日記』清少納言批評の背景」(『古代文化』2001年9月号)。</ref>。 |
殆ど陰口ともいえる辛辣な批評である。これらの表記は近年に至るまで様々な憶測や、ある種野次馬的な興味(紫式部が清少納言の才能に嫉妬していたのだ、など)を持って語られている。本人同士は年齢や宮仕えの年代も10年近く異なるため、実際に面識は無かったとされることが多いが、面識の有無を証する文献はない。定子没後の清少納言の動静については、夫の[[藤原棟世]]と摂津に赴いたことが『清少納言集』から知られるが、同時に一条天皇からの使いが来たことも記されている。[[角田文衞|角田文衛]]は、定子の遺児・[[媄子内親王]]、[[脩子内親王]]を養育するために再出仕し、そこで紫式部らとの接触があったと推定しているが根拠はない<ref>{{Cite journal|和書|author=角田文衛|year=1970|title=晩年の清少納言|journal=王朝の映像|page=390-430}}</ref>。この清少納言評に関しては、『紫式部日記』の政治的性格を重視する視点から、清少納言の『枕草子』が故皇后・[[藤原定子|定子]]を追懐し、紫式部の主人である中宮・彰子の存在感を阻んでいることに苛立ったためとする解釈もある<ref>山本淳子「『紫式部日記』清少納言批評の背景」(『古代文化』2001年9月号)。</ref>。 |
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みじうはべりける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば まだいと足らぬこと多かり」『紫日記』黒川本)、 |
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*「こんな人の行く末にいいことがあるだろうか(いや、ない)」(「そのあだになりぬる人の果て いかでかはよくはべらむ」『紫日記』黒川本)と、殆ど陰口ともいえる辛辣な批評である。 |
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*しかし、その後で |
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{{quotation|[[紫式部]] かく、かたがたにつけて、一ふしの思ひ出でらるべきことなくて過ぐしはべりぬる人の、ことに行末の頼みもなきこそ、なぐさめ思ふかただにはべらねど、心すごうもてなす身ぞとだに思ひはべらじ。|『紫日記』黒川本}} |
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「このように、他人のことをあれこれにつけて様々に申してまいりましたけれど、私には何一つ取り柄などなくただ過ごして来ただけの人で、この先の身の安心だってないのですから、せめて寂しい気持ちで過ごしていくことだけはしたくないと思っています」、と自らの批判に対して自虐的に反省も述べている。華やかな性格の清少納言とは対照的に紫式部は内省的な性格だったとも考えられる。 |
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なお紫式部の娘の大弐三位の子の[[高階為家]]と、清少納言の娘の[[上東門院小馬命婦]]の娘と関係があったことを示す歌が『[[後拾遺和歌集]]』908番に残されている。 |
なお紫式部の娘の大弐三位の子の[[高階為家]]と、清少納言の娘の[[上東門院小馬命婦]]の娘と関係があったことを示す歌が『[[後拾遺和歌集]]』908番に残されている。 |