「鈴木梅太郎」を編集中
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== 業績 == |
== 業績 == |
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=== オリザニンの発見 === |
=== オリザニンの発見 === |
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鈴木は、 |
鈴木は、世界で初めて抗脚気因子を物理的に抽出することに成功した。それは、[[チアミン]](ビタミンB1)の不純物であった。 |
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==== オリザニン発見の経緯と評価 ==== |
==== オリザニン発見の経緯と評価 ==== |
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留学から帰った鈴木は、[[クリスティアーン・エイクマン]]の追試を行い、[[ニワトリ]]と[[ハト]]を白米で飼育すると[[脚気]]同様の症状が出て死ぬこと、[[糠]]と麦と[[玄米]]にはその症状を予防して快復させる成分があること、白米はいろいろな成分が欠乏していることを認めた。[[1910年]](明治43年)6月14日、東京化学会で「白米の食品としての価値並に動物の[[脚気]]様疾病に関する研究」と題して報告をした。その後、この成分の化学抽出を目指した<ref>山下 (2008)、379頁。</ref>。 |
留学から帰った鈴木は、[[クリスティアーン・エイクマン]]の追試を行い、[[ニワトリ]]と[[ハト]]を白米で飼育すると[[脚気]]同様の症状が出て死ぬこと、[[糠]]と麦と[[玄米]]にはその症状を予防して快復させる成分があること、白米はいろいろな成分が欠乏していることを認めた。[[1910年]](明治43年)6月14日、東京化学会で「白米の食品としての価値並に動物の[[脚気]]様疾病に関する研究」と題して報告をした。その後、この成分の化学抽出を目指した<ref>山下 (2008)、379頁。</ref>。 |
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糠から有効成分︵アベリ酸と命名。のちにオリザニンと改名︶の抽出に成功した鈴木は、同年12月13日の東京化学会で第一報を報告し、その論文は翌[[1911年]]︵明治44年︶1月の東京化学会誌に﹁糠中の一有効成分に就て﹂<ref>{{Cite journal|author=鈴木 梅太郎, 島村 虎猪|year=1911|title=糠中の一有効成分に就て|url=https://doi.org/10.1246/nikkashi1880.32.4|journal=東京化學會誌|volume=32|issue=11|page=|pages=4-17}}</ref>と題して掲載された。そこでは、この有効成分が抗脚気因子にとどまらず、ヒトと動物の生存に不可欠な未知の栄養素であることを強調し、後の﹁[[ビタミン]]﹂の概念をはっきり提示していた<ref>山下 (2008)、379-380頁。</ref>。
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鈴木の論文は[[ドイツ語]]に訳されて[[ドイツ]]の速報誌に抄録されたのだが、新しい栄養素であるとの主張が訳出されておらず、鈴木の発見は世界的な注目を受けることがなく、第一発見者としては[[日本]]国内で知られるのみとなってしまった。 |
鈴木の論文は[[ドイツ語]]に訳されて[[ドイツ]]の速報誌に抄録されたのだが、新しい栄養素であるとの主張が訳出されておらず、鈴木の発見は世界的な注目を受けることがなく、第一発見者としては[[日本]]国内で知られるのみとなってしまった。 |