「鉄騎隊」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
8行目: | 8行目: | ||
この連隊はクロムウェルが私財1,100から1,200[[ポンド (通貨)|ポンド]]を投じてつくった文字通り﹁宗教信者﹂の軍だった。冒涜の言、飲酒、乱暴、不信仰はこの隊では許されず、信仰に厚い人物なら出自を問わず士官に抜擢、良家の子弟以外は指揮官になれないという当時の伝統を破っていた。クロムウェルは﹁私は自分が何のために戦っているかを知り、自分が知るところのものを愛する粗末な朽葉色の服を着た隊長を大事と思う。いわゆる紳士と称するだけで、それ以上の何ものでもない人よりも﹂と発言、議会や他の軍人達に平民を士官に採用したことや[[アナバプテスト|再洗礼派]]信者と疑われた士官の信仰を問題にされた際、出自では﹁名誉と家柄のある方がいないため、平民であってもいないよりまし﹂と言い訳して切り抜け、信仰の内容については﹁たとえ彼が再洗礼派であるとしても、公共に奉仕出来なくなるのでしょうか。国家に忠実に奉仕する気があればそれで充分である﹂と弁明、個人の信仰を尊重し国家と宗教を分離して考えている。クロムウェルのこの方針でたとえ独立教徒であろうと再洗礼派であろうと、正直で真面目なキリスト教徒であれば誰でもこの連隊で用いられた。[[ピューリタン]]の[[ジェントリ]]、[[ヨーマン]]が中心であった<ref name="松村365"></ref><ref>今井、P67、P71 - P72、清水、P64 - P69。</ref>。
|
この連隊はクロムウェルが私財1,100から1,200[[ポンド (通貨)|ポンド]]を投じてつくった文字通り﹁宗教信者﹂の軍だった。冒涜の言、飲酒、乱暴、不信仰はこの隊では許されず、信仰に厚い人物なら出自を問わず士官に抜擢、良家の子弟以外は指揮官になれないという当時の伝統を破っていた。クロムウェルは﹁私は自分が何のために戦っているかを知り、自分が知るところのものを愛する粗末な朽葉色の服を着た隊長を大事と思う。いわゆる紳士と称するだけで、それ以上の何ものでもない人よりも﹂と発言、議会や他の軍人達に平民を士官に採用したことや[[アナバプテスト|再洗礼派]]信者と疑われた士官の信仰を問題にされた際、出自では﹁名誉と家柄のある方がいないため、平民であってもいないよりまし﹂と言い訳して切り抜け、信仰の内容については﹁たとえ彼が再洗礼派であるとしても、公共に奉仕出来なくなるのでしょうか。国家に忠実に奉仕する気があればそれで充分である﹂と弁明、個人の信仰を尊重し国家と宗教を分離して考えている。クロムウェルのこの方針でたとえ独立教徒であろうと再洗礼派であろうと、正直で真面目なキリスト教徒であれば誰でもこの連隊で用いられた。[[ピューリタン]]の[[ジェントリ]]、[[ヨーマン]]が中心であった<ref name="松村365"></ref><ref>今井、P67、P71 - P72、清水、P64 - P69。</ref>。
|
||
信仰は軍の団結心に役立ち、兵士達は携帯聖書をポケットに入れて戦場に臨み、自分達が選ばれた聖者とした意識は士気を高め、敵︵王党派︶に対する非妥協性は容易に屈服しない精神を育んだ。クロムウェルも連隊の精鋭化に尽力、厳しい訓練を課し馬と武器の手入れを欠かさず規律を守らせた。この団結心に基づきクロムウェルは新しい戦術を実行、戦列を崩さず一塊になって敵へ突撃、背後へ回っても戦列を整えて再突撃をかけた。反対に防戦で不利に追い込まれバラバラになってもすぐに結集、集団行動で攻撃も防御もこなせる精鋭部隊を作り上げた。また、信仰に目覚めた兵士達は[[会衆制]]を重視し軍は[[イングランド国教会の分離派|分離派]]の一派である |
信仰は軍の団結心に役立ち、兵士達は携帯聖書をポケットに入れて戦場に臨み、自分達が選ばれた聖者とした意識は士気を高め、敵︵王党派︶に対する非妥協性は容易に屈服しない精神を育んだ。クロムウェルも連隊の精鋭化に尽力、厳しい訓練を課し馬と武器の手入れを欠かさず規律を守らせた。この団結心に基づきクロムウェルは新しい戦術を実行、戦列を崩さず一塊になって敵へ突撃、背後へ回っても戦列を整えて再突撃をかけた。反対に防戦で不利に追い込まれバラバラになってもすぐに結集、集団行動で攻撃も防御もこなせる精鋭部隊を作り上げた。また、信仰に目覚めた兵士達は[[会衆制]]を重視し軍は[[イングランド国教会の分離派|分離派]]の一派である[[独立派 (宗教)|独立派]]の拠点となったが、同時に急進派である別の分離派が入り込む余地も生まれ、後に[[長老派教会|長老派]]と独立派の抗争と並んで独立派と分離派も対立する構図が生まれていった<ref>今井、P63 - P74、清水、P65 - P66、P69。</ref>。
|
||
[[1643年]][[10月11日]]の{{仮リンク|ウィンスビーの戦い|en|Battle of Winceby}}では﹁[[詩篇]]を歌い感謝しつつ﹂突撃し、リンカンシャーから王党を一掃した。[[1644年]][[7月2日]]の[[マーストン・ムーアの戦い]]でも[[カンバーランド公]][[ルパート (カンバーランド公)|ルパート]]の騎兵と直面し、潰走させて武名をあげた。戦後ルパートがクロムウェルを讃えて名付けた﹁Old Ironsides﹂が由来となり、彼の麾下騎兵隊は鉄騎隊と呼ばれた。後の |
[[1643年]][[10月11日]]の{{仮リンク|ウィンスビーの戦い|en|Battle of Winceby}}では﹁[[詩篇]]を歌い感謝しつつ﹂突撃し、リンカンシャーから王党を一掃した。[[1644年]][[7月2日]]の[[マーストン・ムーアの戦い]]でも[[カンバーランド公]][[ルパート (カンバーランド公)|ルパート]]の騎兵と直面し、潰走させて武名をあげた。戦後ルパートがクロムウェルを讃えて名付けた﹁Old Ironsides﹂が由来となり、彼の麾下騎兵隊は鉄騎隊と呼ばれた。後の[[ニューモデル軍]]︵新型軍あるいは新模範軍とも︶の中核となり、議会派の勝利獲得に貢献した<ref name="松村365"></ref><ref>今井、P74 - P78、P85 - P87、清水、P71 - P79、P86 - P87。</ref>。日本では、この新型軍をも指して単に﹁鉄騎隊﹂と呼ぶことがある。
|
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2019年2月17日 (日) 03:06時点における最新版
鉄騎隊︵てっきたい、英: Ironside︶は、清教徒革命︵イングランド内戦︶において、最初にオリバー・クロムウェルが指揮した騎兵隊に付けられたあだ名。クロムウェルが敵から﹁Old Ironsides︵剛勇の人︶﹂と呼ばれていたことに由来する。