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'''鉄騎隊'''︵てっきたい、{{lang-en-short|Ironside}}︶は、[[清教徒革命]]︵[[イングランド内戦]]︶において、最初に[[オリバー・クロムウェル]]が指揮した[[騎兵]]隊に付けられたあだ名。クロムウェルが﹁{{En|Old Ironsides}}﹂と呼ばれていたこと由来する。
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ある時クロムウェルは﹁私は自分が何のために戦っているかを知り、自分が知るところのものを愛する粗末な朽葉色の服を着た隊長を大事と思う。いわゆる紳士と称するだけで、それ以上の何ものでもない人よりも﹂と発言している。信仰の内容については﹁独立教徒であろうと[[再洗礼派]]であろうと、正直で真面目なキリスト教徒であれば誰でも﹂この連隊で用いられた。[[ジェントリ]]、[[ヨーマン]]が中心であった。
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2018年8月19日 (日) 08:21時点における版
鉄騎隊︵てっきたい、英: Ironside︶は、清教徒革命︵イングランド内戦︶において、最初にオリバー・クロムウェルが指揮した騎兵隊に付けられたあだ名。クロムウェルが﹁Old Ironsides﹂と呼ばれていたこと由来する。
1642年10月23日、第一次イングランド内戦におけるエッジヒルの戦いでの敗戦直後、クロムウェルは従兄で議会軍の大佐ジョン・ハムデンに﹁酒場の給仕や職人の軍隊で上流人士の騎士たちと戦を続けることは難しい。これからは信者の軍をつくらなければならない﹂と語った。王軍に対抗してノーフォーク、ケンブリッジシャーなど5州が連合した東部連合にクロムウェルは手勢1,000名余を引き連れて参加した。この連隊はクロムウェルが私財1,100から1,200ポンドを投じてつくった文字通り﹁宗教信者﹂の軍だった。冒涜の言、飲酒、乱暴、不信仰はこの隊では許されず、良家の子弟以外は指揮官になれないという当時の伝統を破っていた。
ある時クロムウェルは﹁私は自分が何のために戦っているかを知り、自分が知るところのものを愛する粗末な朽葉色の服を着た隊長を大事と思う。いわゆる紳士と称するだけで、それ以上の何ものでもない人よりも﹂と発言している。信仰の内容については﹁独立教徒であろうと再洗礼派であろうと、正直で真面目なキリスト教徒であれば誰でも﹂この連隊で用いられた。ジェントリ、ヨーマンが中心であった。
1643年10月11日のウィンスビーの戦いでは﹁詩篇を歌い感謝しつつ﹂突撃し、リンカンシャーから王党を一掃した。1644年7月2日のマーストン・ムーアの戦いでもカンバーランド公ルパートの騎兵と直面し、潰走させて武名をあげた。後のニューモデル軍︵New Model Army、新型軍あるいは新模範軍とも︶の中核となり、議会派の勝利獲得に貢献した。日本では、この新型軍をも指して単に﹁鉄騎隊﹂と呼ぶことがある。