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「韶子内親王」の版間の差分

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[[延喜]]20年12月17日([[921年]]2月2日)、異母妹の[[康子内親王]]とともに[[親王宣下|内親王宣下]]を受ける。翌21年(同じく921年)2月25日、父醍醐天皇の斎院に[[卜定]]。[[延長 (元号)|延長]]2年([[924年]])3月25日、[[裳着]]を行い[[品位 (位階)|三品]]に叙された。同8年([[930年]])9月29日に父天皇が崩御したことにより斎院を退下。のち[[大納言]][[源清蔭]]([[陽成天皇]][[皇子]])に嫁ぎ、さらに[[河内国|河内]]守[[橘惟風]]と再婚した。天元3年(980年)1月18日、63歳で没した。

[[延喜]]20年12月17日([[921年]]2月2日)、異母妹の[[康子内親王]]とともに[[親王宣下|内親王宣下]]を受ける。翌21年(同じく921年)2月25日、父醍醐天皇の斎院に[[卜定]]。[[延長 (元号)|延長]]2年([[924年]])3月25日、[[裳着]]を行い[[品位 (位階)|三品]]に叙された。同8年([[930年]])9月29日に父天皇が崩御したことにより斎院を退下。のち[[大納言]][[源清蔭]]([[陽成天皇]][[皇子]])に嫁ぎ、さらに[[河内国|河内]]守[[橘惟風]]と再婚した。天元3年(980年)1月18日、63歳で没した。



== 参考文献 ==

== 参考文献 ==

*[[角田文衞|角田文衛]]監修『[[平安時代史事典]]』[[角川書店]]、1994年。

*[[角田文衞|角田文衛]]監修『[[平安時代史事典]]』[[角川書店]]、1994年。


2012年11月4日 (日) 06:13時点における版


18918 - 31189802729殿

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参考文献