出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
●1867年 2月、誕生
●1883年 ヴェルサイユ国立高等園芸学校に入学し、建築家AugusteChoisyに設計製図教育を受ける
●1886年 ヴェルサイユ国立高等園芸学校を卒業
●1888年 フランス農務省より、イギリスのチェルシー (Chelsea) 庭園やキュー (Kew) ガーデンの実習生に選抜される。そして、エドゥアール・アンドレの代理としての製図家を務めている
●1890年 アンドレの秘書となり、アンドレのスケッチを元に、ブルガリアのバルナ(Varna)公園の設計を監理する
●1891年 雑誌﹃ル・シャルダン(LeJardin)﹄の編集者となる。また、造園設計家として独立する
●1896年 ボーPauのボーモン (fr:Beaumont) 公園をアンドレから引継いで設計に従事(~1900年)
●1897年 ヴェルサイユ国立高等園芸学校の教授となり産業・商業園芸学を教える(~1903年、名目上の教授職は1920年まで)
●1900年 SNHF(フランス国立園芸協会)にて、博覧会視察でフランスに訪れていた福羽逸人の訪問をうけ、新宿御苑の改修設計を依頼される
●1901年 バレンシエンヌのロネル (fr:Rhonelle) 公園を設計
●1903年 ジョーベット (fr:Jouvet) 公園設計競技の審査員となる
●1904年 農務省農業局で造園設計のカウンセラーとなる
●1905年 ヴェルサイユ国立高等園芸学校同窓会会長(~1906年まで)
●1910年 フランス国立園芸協会の副会長となる︿~1911年まで︶
●1921年 ﹃ル・ジャルダン﹄と合併した﹃ルヴュ・オルティコル(RevueHorticole)﹄の共同編集人となる
●1936年 死去
参考文献[編集]
●日本庭園学会誌 (17), 7-12, 2007/8 (牧大次郎:新宿御苑の庭園デザインと設計者アンリ・マルチネ(Garden Design and Designer Henri Martinet in Shinjuku Gyoen National Garden)、鈴木 誠:新宿御苑鳥瞰図とアンリ・マルチネ)