エドゥアルト・シュトイアーマン
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エドゥアルト・シュトイアーマン | |
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1957年、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会にて | |
基本情報 | |
生誕 | 1927年11月9日 |
出身地 |
オーストリア=ハンガリー帝国、ガリツィア・ロドメリア王国、サンボル (現在 ウクライナ、リヴィウ州サンビル) |
死没 | 1964年11月1日(72歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト・作曲家 |
担当楽器 | ピアノ |
エドゥアルト・シュトイアーマン︵もしくはシュトイエルマン、Eduard Steuermann, 1892年6月18日 – 1964年11月11日︶は、ユダヤ系ポーランド人のピアニスト・作曲家。後アメリカ合衆国に帰化し、エドワード︵Edward︶として知られるようになった。1949年に、ピアニストのクララ・シルヴァースと結婚した[1]。
経歴[編集]
オーストリア=ハンガリー帝国領ガリツィア地方のサンボル︵現在のウクライナ領サンビル︶に生まれ、ピアノをルヴフにてヴィレーム・クルツに、ベルリンにてフェルッチョ・ブゾーニに師事。作曲はエンゲルベルト・フンパーディンクとアーノルト・シェーンベルクに師事した[2]。シェーンベルクの︽月に憑かれたピエロ︾や︽ピアノ協奏曲︾の初演でピアノ・パートを担当しており、またウィーン音楽院で教え、﹁ウィーン私的演奏協会﹂においてもピアニストとしてシェーンベルクとの関係を続けた。シェーンベルクの︽浄夜︾をピアノ三重奏用に編曲してもいる。ダルムシュタット夏季現代音楽講習会において教鞭を執り、1952年には国際現代音楽協会よりシェーンベルク・メダルを授賞された。 1938年に渡米して[2]からは、1950年代にベートーヴェンのリサイタルで名を馳せるとともに、1952年から1964年までジュリアード音楽学校の教壇に立ち、教師としても高名であった[2]。シュトイアーマンの著名な門弟に、ヤコブ・ギンペルやアルフレート・ブレンデル、ラッセル・シャーマンらがいる。 1964年、ニューヨークで死去。1989年にネブラスカ大学出版局から、クララ未亡人やガンサー・シュラーらの共同編集によりシュトイアーマンの著作集﹃The Not Quite Innocent Bystander: Writings of Edward Steuermann﹄が出版された。脚注[編集]
- ^ Edward and Clara Steuermann Collection, Music Division, Library of Congress
- ^ a b c From abstract of Edward and Clara Steuermann Collection, Music Division, Library of Congress