オレオ (ソニー・ロリンズの曲)
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﹁オレオ﹂(Oleo) は、ソニー・ロリンズが1954年に発表したハード・バップの楽曲。以降、ジャズのスタンダード曲となり、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスをはじめ、数多くのジャズ・ミュージシャンたちによって演奏されてきた。
﹁ハード・バップのファンから人気の高い楽曲﹂とされている[1]。
形式[編集]
﹁オレオ﹂は、ジョージ・ガーシュウィンが作曲した﹁アイ・ガット・リズム﹂で用いられたものと同じコード進行︵リズムチェンジ︶に基づいて作られた数多くのジャズ・スタンダード曲のひとつである[2]。同様にリズムチェンジを用いて書かれたスタンダード曲には、チャーリー・パーカーの﹁アンソロポロジー (Anthropology)﹂、ディジー・ガレスピーの﹁ソルト・ピーナッツ (Salt Peanuts)﹂、セロニアス・モンクの﹁リズム・ア・ニン (Rhythm-A-Ning)﹂などがある。 Aの部分は変化を加えながらも繰り返し提示され、Bの部分は、演奏者が即興を展開するか、リズム体がコンピングする間として空のままとされている。録音[編集]
マイルス・デイヴィスは、この曲を何度も録音した[2]。最初のバージョンは、ロリンズ自身が演奏し、1954年に録音されたデイヴィスのアルバム﹃バグス・グルーヴ (Bags' Groove)﹄に収められた[2]。ロリンズに代えてジョン・コルトレーンがサキソフォーンを演奏して、1956年に再度録音されたバージョンは﹃リラクシン (Relaxin')﹄に収録された[1][2]。コルトレーンによる1958年のライブ演奏は、マイルス・デイヴィスの2枚のアルバム、すなわち1973年にリリースされた﹃ジャズ・アット・ザ・プラザ (Jazz at the Plaza)﹄と1979年にリリースされた﹃1958マイルス (1958 Miles)﹄に入っている。これとは別の1961年のライブ・バージョンは、﹃イン・パーソン・アット・ザ・ブラックホーク、サンフランシスコ (In Person Friday and Saturday Nights at the Blackhawk, Complete)﹄で聞くことができる。 ソニー・ロリンズが、自身の名義でこの曲を取り上げたのは、ドン・チェリーと共演した1962年のアルバム﹃アワ・マン・イン・ジャズ (Our Man in Jazz)﹄で、前衛的な即興演奏を重ねた25分あまりのライブ演奏が収録されている[2]。 他にも、この曲の特筆すべき録音を残したアーティストとして、エリック・ドルフィー、フィニアス・ニューボーン、パット・マルティーノ、ビル・エヴァンス、ミシェル・ペトルチアーニ、トミー・フラナガン、ケニー・バロン、マル・ウォルドロンらがいる[2]。 日本のジャズドラマー中村達也は、1989年にニューヨークで、ジョージ・アダムズ、ジョン・ヒックス、リチャード・デイヴィスと組み、この曲を表題曲としたアルバム﹃オレオ﹄を制作した[3]。曲名の流用[編集]
1965年から1970年まで、東京都中央区銀座1丁目にあったジャズ喫茶﹁オレオ﹂の店名は、この曲からとったものである[4][5]。脚注[編集]
(一)^ abWaring, Charles (2020年3月17日). ““無名だった”1955年のマイルス・デイヴィスと、2回のセッションを収録した傑作﹃Relaxin’ With The Miles Davis Quintet﹄”. uDiscoverMusic / ユニバーサルミュージック合同会社. 2020年6月28日閲覧。
(二)^ abcdef﹁オレオ﹂﹃ジャズ・スタンダード名曲徹底ガイド上: 名曲200/決定盤CD 880﹄音楽出版社、2004年、181頁。 Google books
(三)^ ﹁ジャズドラマーの中村達也、NYで“即興”レコーディング﹂﹃朝日新聞・夕刊﹄1989年7月28日、17面。 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
(四)^ 市原佳菜子 (2016年7月30日). “﹇ふるさとにエール﹈松坂妃呂子さん︵中︶︵連載︶”. 読売新聞・東京朝刊・福島: p. 31. "■自らジャズ喫茶を始められたということですが。﹁1965年です。... 銀座1丁目のビルの一室を借りて開いた店の名前は﹃オレオ﹄。ソニー・ロリンズの曲からとりました﹂" - ヨミダス歴史館にて閲覧
(五)^ 市原佳菜子 (2016年7月31日). “﹇ふるさとにエール﹈松坂妃呂子さん︵下︶︵連載︶”. 読売新聞・東京朝刊・福島: p. 33. "東京・銀座のジャズ喫茶に集まった仲間と作った同人誌を出発点に、今も号数を重ねる雑誌﹁ジャズ批評﹂。... ﹁... 店そのものは70年に閉店しましたが、..﹂" - ヨミダス歴史館にて閲覧