キャサリン・スウィンフォード
キャサリン・スウィンフォード Katherine Swynford | |
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キャサリン・スウィンフォードの紋章。赤地に3つの車輪で表される。(彼女の実家の姓「roet」は「車輪」の意味) | |
出生 |
1350年11月25日 |
死去 |
1403年5月10日(52歳没) |
埋葬 | イングランド王国、リンカーン大聖堂 |
配偶者 | ヒュー・スウィンフォード |
ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント | |
子女 |
トマス・スウィンフォード ブランシュ・スウィンフォード ジョン・ボーフォート ヘンリー・ボーフォート トマス・ボーフォート ジョウン・ボーフォート |
家名 | ルート家 |
父親 | ペイン・ド・ルート |
キャサリン・スウィンフォード︵Katherine Swynford もしくは Katharine, Catherine, 旧姓はキャサリン・ド・ルート︵Katherine de Roet︶, 1350年11月25日 - 1403年5月10日︶は中世イングランドの貴族女性。イングランド王族のランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの愛人で後に3番目の妻になる。彼女の子は臣籍降下して名門ボーフォート家を興す。ランカスター朝の始祖ヘンリー4世は継子︵ジョン・オブ・ゴーントと最初の妻ブランシュの息子︶。
キャサリン・スウィンフォードの墓
1640年に描かれたキャサリン・スウィンフォードとジョウン・ボー フォートの墓
ジョウンの孫は後にヨーク朝を開くエドワード4世とその後を継ぐリチャード3世である。そのリチャード3世を倒してテューダー朝を開いたのは、ジョンの曾孫のヘンリー7世である。出生時期さえ定かでないような私生児だったボーフォートの血脈は、こうしてイングランド王室につながっていく事になる。
2度の結婚[編集]
キャサリンはペイン・ドゥ・ルート[1]の娘として生まれた。彼女は16歳の時︵1366年頃︶にヒュー・スウィンフォード[2]と結婚した。ヒューはケトルソープ︵Kettlethorpe︶に邸宅をもつ裕福な騎士であり、2人の間に2人以上の子を授かったが、彼女の父と同様に大陸で戦死してしまう。 ヒュー・スウィンフォードに先立たれた後、彼女はランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの邸宅に入る。表向きはジョンの妻ブランシュに呼ばれた﹁ジョンの2人の娘たちの家庭教師﹂という名目であった。この公妃は1369年に亡くなり[3]、ジョンの2番目の妻であるコンスタンス・オブ・カスティルも1394年に亡くなると、1396年1月13日にジョンとキャサリンはリンカーン大聖堂で結婚し、ジョンが1399年に亡くなるまでの3年間を夫婦として過ごしている。 1403年5月10日、キャサリンはジョンの死の4年後に亡くなった。彼女と娘のジョウンはリンカーン大聖堂の聖壇に埋葬されたが、その墓所は1644年の清教徒革命の内戦の折に清教徒の略奪を受けた。家族[編集]
ヒュー・スウィンフォードとの間に以下の子女をもうけた[4]。 ●トマス︵1368/72年 - 1432年︶ ●ブランシュ︵1370年頃 - ?︶ ジョンとキャサリンの間には子供が4人いた。 ●ジョン・ボーフォート︵1371年頃 - 1410年︶ - サマセット伯 ●ヘンリー・ボーフォート︵1375年頃 - 1447年︶ - ウィンチェスター司教、枢機卿、大法官 ●トマス・ボーフォート︵1377年頃 - 1426年︶ - ドーセット伯、エクセター公、大法官 ●ジョウン・ボーフォート︵1379年頃 - 1440年︶ - ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルと結婚 4人とも結婚前に生まれた子だったため通常なら庶子扱いだが、ジョンは1390年に従兄のリチャード2世によって﹁嫡出子である﹂という私的談話を得て、さらに結婚後の1397年1月には議会宣言の形で議会の承認もとった。すでに﹁ボーフォート﹂という姓をもらっていた4人の子供達は晴れて﹁ジョン・オブ・ゴーントの嫡出子﹂となった[5]。脚注[編集]
(一)^ ペイン・ドゥ・ルート︵Payne ︵or Paen︶ de Roet︵or Rouet or Roelt︶︶‥エノー出身のフランドル人紋章官で戦死する間際に騎士に叙された。
(二)^ スウィンフォード︵Swynford︶‥資料によってはシンフォード︵Synford︶と表す場合もある。
(三)^ この公妃ブランチェを題材にしたと言われている﹁公妃の書﹂という詩を書いたジェフリー・チョーサーは、キャサリンの妹フィリッパと結婚した義弟である。
(四)^ Alison Weir, Britain's Royal Families, Vitage, 2008, p. 103
(五)^ 但し、後に継子ヘンリー4世が即位すると、﹁嫡出子だが王位継承権はないものとする﹂という一文が追加された。