シャルル・ブラン
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シャルル・ブラン Charles Blanc | |
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生誕 |
1813年11月17日 フランス帝国、タルヌ県カストル |
死没 |
1882年1月17日(68歳没) フランス共和国、パリ |
国籍 | フランス |
職業 | 美術批評家、美術史家 |
シャルル・ブラン︵Charles Blanc, 1813年11月17日 - 1882年1月17日︶は、フランスの美術批評家、美術史家である。
ブランが著書に掲げた星形の色相環。
﹃デッサン芸術の文法﹄は、第1章﹁建築﹂、第2章﹁彫刻﹂、第3章﹁絵画﹂から成り、﹁絵画﹂の章で当時の最先端の色彩理論を紹介している。フィンセント・ファン・ゴッホはこの本を読んで補色などの理論を理解した[2]。
人物[編集]
もともと銅版画の教育を受けていたが、1836年からは雑誌への寄稿を行うようになった。芸術への政府の支援を訴える活動にも熱心であった。1848年、芸術省長官に任命された。1851年、長官を離任してからは批評家としての活動を再開した。1853年から14巻より成る﹃各派の画家たちの歴史﹄の執筆に着手し、1861年に第1巻を発表した。1859年にÉdouard Houssayeが﹃美術公報﹄(en) を創刊した時、ブランはその最初の編集長に任命された。﹃歴史﹄の執筆の傍ら、1867年には﹃デッサン芸術の文法﹄を発刊し、新印象派の画家たちに広く読まれた。1868年、芸術アカデミーに選出される。ヨーロッパの優れた美術品の複製を集めた美術館の設立を提案したが、これは激しい論争を引き起こした。1876年、﹃歴史﹄の功績によりウジェーヌ・フロマンタンを破ってアカデミー・フランセーズに選ばれた。晩年10年間は、コレージュ・ド・フランスで美術史を教え、イタリア・ルネッサンスの画家たちについての書物を書くことに費やした。兄はフランス第二共和政期の著述家・政治家であるルイ・ブラン[1]。脚注[編集]
参考文献[編集]
- “Blanc, Charles [Auguste-Alexandre-Phillipe]”. Dictionary of Art Historians. 2013年8月29日閲覧。
- 新関公子『ゴッホ 契約の兄弟――フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』ブリュッケ、2011年。ISBN 978-4-434-16117-9。