ジュネーヴ学派
ジュネーヴ学派︵ジュネーヴがくは︶は、フェルディナン・ド・ソシュールの影響を受けたジュネーヴ大学の言語学者の学派をいう。これとは別に文学評論家にもジュネーヴ学派というグループがある。
代表的な言語学者[編集]
●シャルル・バイイ (1865-1947) ●アルベール・セシュエ (1870-1946) ●セルゲイ・カルツェフスキー (1884-1955) ●アンリ・フレエ (1899-1980) ●ロベール・ゴデル (1902-1984) ●ルイス・ホルヘ・プリエト (1926-1996) これにルドルフ・エングラー (1930-2003) を加えることもあるが、エングラーはジュネーヴ大学では活動していない[1]。 カルツェフスキーは後にプラハ大学に移り、プラハ学派にも属する。ソシュールの考えをプラハに伝える役割を果した。活動[編集]
ジュネーヴ学派︵École genevoise de linguistique︶という名前は、1908年にバイイが使ったのがはじめであるという[1]。ソシュールの影響を受けたという以外、かならずしも主張が共通しているわけではない。 バイイとセシュエによりソシュールの﹃一般言語学講義﹄が1916年に出版された。またソシュールの論文集は1922年に出版された[2]。 バイイらによって1940年にジュネーヴ言語学会が創立され、その機関誌﹃カイエ・フェルディナン・ド・ソシュール﹄(Cahiers Ferdinand de Saussure)を1941年以来刊行した。ジュネーヴ言語学会は1956年に解散したが、フレエが中心になってその後も﹃カイエ﹄は刊行されつづけている。 ジュネーヴ学派の主要な言語学上の主張は、ゴデルの﹃A Geneva School Reader in Linguistics﹄にまとめられている[3]。文学評論家[編集]
フランス語で﹁groupe de Genève﹂︵ジュネーブ・スクール︶という表現が、1950年代から1960年代にかけての文学評論家のグループにも示された。その中でとくに重要な人物としてベルギーの評論家であるジョルジュ・プーレ︵Georges Poulet︶やフランスの評論家Jean-Pierre Richard、そしてスイスの批評家マルセル・レイモンド、アルバート・ベギン、ジーン・ラセット、ジーン・スタロバンスキーらで、評論家のエミール・ステイガー、ガストン・バチェラード、J.ヒリスミラーなどもこのグループに関連人物として挙げられることもある。この﹁ジュネーブスクール﹂は、ロシア形式主義と現象学︵エドマンドフッサールの作品など︶から発展し、現象学の手法を利用して、著術者の意識といった深い構造まで、文学作品を分析しようとする一派である。参考文献[編集]
- Robert Magliola. Phenomenology and Literature: An Introduction. Lafayette: Purdue University Press, 1977; 1978.
脚注[編集]
- ^ a b René Amacker (1995). “Geneva School, after Saussure”. In Koerner, E.F.K; Asher, R.E.. Concise History of the Language Sciences: From the Sumerians to the Cognitivists. Elsevier Science Limited. pp. 239-243. ISBN 0080425801
- ^ Recueil des publications scientifiques de Ferdinand de Saussure. Labrairie Payot. (1922)
- ^ Godel, Robert (1969). A Geneva School Reader in Linguistics. Indiana University Press