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セティ1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
セティ1世
Seti I
アビドスのオシリス神殿にあるセティ1世のレリーフ
アビドスのオシリス神殿にあるセティ1世のレリーフ
古代エジプト ファラオ
統治期間 1294 B.C.[注釈 1] - 1279 B.C.,第19王朝
前王 ラムセス1世
次王 ラムセス2世
配偶者 トゥイア
子息 ラメセス2世
子女 ティア
ラメセス1世
シトラー
出生 ?
死去 1279 B.C.
埋葬地 KV17(en)
記念物 セティ1世葬祭殿英語版, アビドス, カルナック神殿
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1: Seti I1294 - 1279192[ 3]1西退[2]21

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1 退 殿殿殿

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1

1

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1殿

セティ1世を題材とした作品[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1290 B.C.とする説も存在する。
  2. ^ "Maat"はJusticeまたはTruthと解される
  3. ^ エジプト神話でのホルスとセトとの戦いは、ホルスの勝利に終わり、セト神はオシリス神を殺すなどの邪悪なもの[1]として描かれているが、その一方セトは戦いの神、嵐の神として崇拝もされており、実際にラメセス2世がカデシュの戦いでヒッタイト軍と戦った時の軍団の名前は、ラーホルス・セト・プタハであった。

出典[編集]

  1. ^ 松本(1994) pp.86
  2. ^ 松本(1994) pp.173-174

参考文献[編集]

  • 松本 弥『図説 古代エジプト文字手帳』株式会社 弥呂久、1994年。ISBN 4946482075 

関連項目[編集]