ダグラス・サーク
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ダグラス・サーク Douglas Sirk | |||||||||||||
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1955年 | |||||||||||||
本名 |
Hans Detlef Sierck ハンス・デトレフ・ジールク | ||||||||||||
生年月日 | 1897年4月26日 | ||||||||||||
没年月日 | 1987年1月14日(89歳没) | ||||||||||||
出生地 | ハンブルク | ||||||||||||
死没地 | ルガーノ | ||||||||||||
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ダグラス・サーク︵Douglas Sirk, 本名:Hans Detlef Sierck, 1897年4月26日 - 1987年1月14日︶は、ドイツ出身の映画監督。ハリウッドでも活躍した。
略歴[編集]
デンマーク人の両親の元、ハンブルクに生まれ、ドイツとデンマークで育つ。ヴァイマル共和政の元で舞台監督としてキャリアをスタートさせ、1934年にはウーファで映画製作にも携わる。しかし妻がユダヤ人だったため、ナチスの弾圧を逃れ、1937年にドイツを離れアメリカへ亡命。デトレフ・ジールクというドイツ的な名では仕事につけないため、ダグラス・サークと改名する。 1942年にハリウッドで反ナチ映画﹃Hitler's Madman﹄を監督した。しばらく下積みが続いた後、1952年から1958年まではユニバーサル映画でメロドラマを連作、その他西部劇なども監督した。 1970年代にドイツに戻り、1987年にスイスで没した。 1955年︵昭和30年︶9月10日に来日している。余談[編集]
作品の再評価により、1980年のカンヌ国際映画祭では審査委員長に選ばれる予定であったが、依頼の電文が手違いでカーク・ダグラスに送られてしまい、その年の審査委員長になることはできなかった[1]。主な監督作品[編集]
- 第九交響楽 Schlußakkord (1935)
- 思ひ出の曲 Das Hofkonzert (1936)
- 世界の涯てに Zu neuen Ufern (1937)
- 南の誘惑 La Habanera (1937)
- 誘拐魔 Lured/Personal Column (1947)
- 眠りの館 Sleep, My Love (1948) (シネクラブ上映)
- ちょっとフランス風 Slightly French (1948)
- ぼくの彼女はどこ? Has Anybody Seen My Gal? (1952)
- わたしの願い All I Desire (1953)
- 異教徒の旗印 Sign of the Pagan (1954)
- 心のともしび Magnificent Obsession (1954)
- アパッチの怒り Taza, Son of Cochise (1954)
- 自由の旗風 Captain Lightfoot (1955)
- 天はすべて許し給う All That Heaven Allows (1955) (シネクラブ上映)※ビデオタイトルは「天が許し給うすべて」「天の許し給うものすべて」
- 風と共に散る Written on the Wind (1956)
- 大空の凱歌 Battle Hymn (1957)
- 間奏曲 Interlude (1957)
- 翼に賭ける命 The Tarnished Angel (1957)
- 愛する時と死する時 A Time to Love and A Time to Die (1958)
- 悲しみは空の彼方に Imitation of Life (1959)
脚注[編集]
- ^ 『映画 果てしなきベストテン』(山田宏一、草思社、2013年)p387