デルポイ
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劇場跡 | |||
英名 | Archaeological Site of Delphi | ||
仏名 | Site archéologique de Delphes | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1),(2),(3),(4),(6) | ||
登録年 | 1987年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
地図 | |||
使用方法・表示 |
デルポイ︵古代ギリシア語: Δελφοι[1]︶は、古代ギリシアのポーキス地方にあった聖域。パルナッソス山のふもとにあるこの地は、古代ギリシア世界においては世界のへそ︵中心︶と信じられており、ポイボス・アポローンを祀る神殿で下される﹁デルポイの神託﹂で知られていた。古代デルポイの遺跡はユネスコの世界遺産︵文化遺産︶に登録されている。
日本語では﹁デルフォイ﹂﹁デルファイ﹂と表記されることも多い。英語表記︵Delphi︶、フランス語表記︵Delphes︶や現代ギリシア語発音に基づく﹁デルフィ﹂も用いられる。遺跡の西にはデルフィの名をもつ集落があり、また遺跡を含む自治体の名前にもなっている。
アポローン神殿の遺構
デルポイの遺跡は、アポローン神殿を中心とする神域と、プロナオス・競技場︵スタディオン︶からなる。神域に隣接して、有力な諸ポリスの宝庫も築かれていた。デルポイのアポローン神殿の壁には1000を超す碑銘が記されている。奴隷の解放がその主な内容である。
ピューティア大祭で使用された競技場跡
デルポイはギリシア最古の神託所の一つである。デルポイの神託はすでにギリシア神話の中にも登場し、人々の運命を左右する役割を演じる。デルポイの神託が登場する神話には、オイディプース伝説がある。神殿入口には、神託を聞きに来た者に対する3つの格言が刻まれていたとされる[2][3]。
●γνῶθι σεαυτόν︵gnōthi seauton︶ - ﹁汝自身を知れ﹂
●μηδὲν ἄγαν︵mēden agan︶ - ﹁過剰の無﹂︵過ぎたるは及ばざるがごとし、多くを求めるな、度を越すなかれ︶
●ἐγγύα πάρα δ᾽ ἄτη︵engua para d' atē︶ - ﹁誓約と破滅は紙一重﹂︵無理な誓いはするな︶
神がかりになったデルポイの巫女︵ピューティアーやシビュッラ︶によって謎めいた詩の形で告げられるその託宣は、神意として古代ギリシアの人々に尊重され、ポリスの政策決定にも影響を与えた。また時には賄賂を使って、デルポイの神託を左右する一種の情報戦もあったといわれる。デルポイに献納する便のために、ギリシアの各都市はデルポイに宝庫を築いた。こうしたことから、デルポイは国際会議場の役割を果たしたとも考えられる。
史実において有名なデルポイの神託には、ヘロドトスの﹃歴史﹄が伝えるアテナイへの二つの神託がある。ペルシア戦争時にアテナイは初め滅亡を暗示する神託を得たのち、再び使者を立て、以下の神託を得た。
されどアイギス保つゼウスの御娘は、木の壁のみを守りとてアカイア人に与え給う。 — ヘロドトス﹃歴史﹄
これをアテナイ市街を焼き払って当時は木造の壁に守られていたアクロポリスに籠城すると解釈するものがあったが、テミストクレスは﹁木の壁﹂を船を指すものと解釈し、三段櫂船を造らせて、サラミスの海戦でペルシア軍を破った。
またソクラテスの友人はデルポイで﹁ソクラテスより賢い人間はいない﹂という神託を籤で得てその哲学的探求を促した。この神託に疑問を持ったソクラテスは、当時知者とされた人々を訪ねて回った。その結果、﹁知っていると思っている﹂人ばかりがいることを見出し、真の知者はいないが﹁知らないと思っている﹂︵無知の知︶という点でわずかに自らがそれらの人々より賢いと思うに到ったと、プラトンの﹃ソクラテスの弁明﹄などの古代の証言は伝えている。
その後、ギリシアの政治的地位の低下と伝統的宗教の衰微とともに、キリスト教の隆盛を待たずしてデルポイの神託はその地位を失っていった。カイロネイアの人でデルポイの神官も務めた伝記作家プルタルコスは、デルポイの神託について、その衰微を中心として数篇の著作を残している。
地理[編集]
デルポイはパルナッソス山の西南麓に位置し、ギリシアの首都アスィーナ︵古名: アテナイ︶から西北へ122kmの距離にある。ティーヴァ︵古名: テーバイ︶からは西北西へ約75km、スパルティ︵古名: スパルタ︶からは北へ約157kmである。デルフィの神託[編集]
その他[編集]
●アテネより高速バスで3時間。 ●現在は遺跡保護のため、パルナッソス山の斜面とオリーブ畑エリアでの建築は禁止されている[4]。登録基準[編集]
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された︵以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である︶。
●(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
●(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
●(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
●(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
●(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの︵この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている︶。
脚注[編集]
- ^ 古代ギリシア語ラテン翻字: Delphoi
- ^ Plato, Charmides 164d-165a.
- ^ http://polylogos.org/hs002.html
- ^ “Archaeological Site of Delphi” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2023年4月28日閲覧。
関連項目[編集]
- Delphi
- ヒュペルボレイオス
- コンスタンティノープル競馬場 - デルポイにあった「蛇の柱」が運ばれた。
- 隣保同盟
- 神聖戦争
- オンパロス
- デルポイの三脚鼎 - 神託を下すのに使用された祭器
- 蛇の柱 - かつて黄金の三脚鼎と大釜(共に所在不明)が祀られていた台座。ヘロドトスによると、ペルシア戦争時の兵器を溶かし作られた青銅製の3匹の蛇が絡まった柱。現在はイスタンブールに置かれている。
- デルファイ法 - 予測分析手法。
- デルフィック格言
- エフォロイ