ニコロ・フェッラーリ
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Nicolò Ferrari ニコロ・フェッラーリ | |
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生年月日 | 1928年4月24日(96歳) |
出生地 | イタリア リグーリア州ジェノヴァ県カモーリ |
職業 | 脚本家、映画監督 |
ジャンル | イタリア式コメディ |
活動期間 | 1950年 - |
活動内容 |
1950年 短篇映画を監督 1957年 脚本家デビュー 1961年 長篇映画を監督 |
主な作品 | |
監督 『裸のラウラ』 脚本 『女性上位時代』 |
ニコロ・フェッラーリ︵Nicolò Ferrari, 1928年4月24日 - ︶は、イタリアの脚本家、映画監督である[1]。日本では自動車メーカー的にニコロ・フェラーリ[2]とも表記される。
来歴・人物[編集]
1928年︵昭和3年︶4月24日、イタリアのリグーリア州ジェノヴァ県カモーリに生まれる[1]。 1950年︵昭和25年︶、短篇ドキュメンタリー映画﹃余計な男たち﹄を監督し、発表している[1]。1953年︵昭和28年︶、オムニバス﹃われら女性﹄のうち、アルフレード・グァリーニが監督した第一話、およびロベルト・ロッセリーニが監督した第三話で助監督を務める[1]。1957年︵昭和32年︶、ロモロ・マルチェリーニ監督の﹃大爆走﹄の脚本執筆に参加、脚本家としてデビューする[1]。 1961年︵昭和36年︶、ジョルジア・モルを主演に初の長篇監督作﹃裸のラウラ﹄を発表する[1]。 長篇監督作﹃私のマオ﹄を発表した1970年︵昭和45年︶以降、1984年︵昭和59年︶に発表された、イタリア共産党第5代書記長のエンリコ・ベルリンゲルの死を悼むオムニバス映画﹃ベルリンゲル、さようなら﹄に監督として参加するまで、脚本作・監督作ともにみられない[1]。 その後、70歳代となった2001年︵平成13年︶以降、2作のオムニバスに監督として参加している[1]。フィルモグラフィ[編集]
一部を除きインターネット・ムービー・データベースに掲載された一覧である[1]。- 『余計な男たち』 Uomini in piú : 短篇ドキュメンタリー映画、1950年 - 監督
- 『われら女性』 Siamo donne, 英語題 We, the Women : 監督アルフレード・グァリーニ / ジャンニ・フランチョリーニ / ロベルト・ロッセリーニ / ルイジ・ザンパ / ルキノ・ヴィスコンティ、オムニバス、1953年 - 助監督 (Concorso 4 Attrici 1 Speranza 篇、および Ingrid Bergman 篇)
- 『大爆走』 I fidanzati della morte : 監督ロモロ・マルチェリーニ、1957年 - 脚本
- 『汚れなき抱擁』 Il bell'Antonio : 監督マウロ・ボロニーニ、1960年 - 助監督
- 『ヘラクレスの復讐』 La vendetta di Ercole : 監督ヴィットリオ・コッタファーヴィ、1961年 - 原案・脚本 [3]
- 『ローマ・オリンピック1960』 La grande olimpiade, 英語題 The Grand Olympics : 監督ロモロ・マルチェッリーニ、1961年 - 脚本
- 『裸のラウラ』 Laura nuda : 1961年 - 監督・脚本
- 『女性上位時代』 La matriarca, 英語題 The Libertine : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1968年 - 脚本
- 『私のマオ』 Mio Mao: Fatiche ed avventure di alcuni giovani occidentali per introdurre il vizio in Cina : 1970年 - 監督・原案・脚本
- 『ベルリンゲル、さようなら』 L'addio a Enrico Berlinguer : オムニバス、1984年 - 監督
- 『もうひとつの世界は存在しうる』 Un altro mondo è possibile : オムニバス、ドキュメンタリー映画、2001年 - 監督・撮影監督
- 『フィレンツェはわれらの明日』 Firenze, il nostro domani : オムニバス、2003年 - 監督
参考文献[編集]
- 『イタリア映画史入門 1905 - 2003』 : ジャン・ピエロ・ブルネッタ、訳川本英明、鳥影社、2008年7月 ISBN 4862651445
関連事項[編集]
- イタリア式コメディ
- アルフレード・グァリーニ (it:Alfredo Guarini)
- ジャンニ・フランチョリーニ (en:Gianni Franciolini)
- ロモロ・マルチェッリーニ (en:Romolo Marcellini)
- ヴィットリオ・コッタファーヴィ (en:Vittorio Cottafavi)