ノート:アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)
この「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2013年3月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
2012-03-20 09:24:42 (UTC) までの過去ログ
軍歴とバス勲章受勲の日時について。[編集]
官報を探してみたのですが、日付が本文と結構違います。
●第73歩兵連隊、少尉︵Ensign︶ - "No. 12836". The London Gazette (英語). 6 March 1787. p. 118. 2013年1月27日閲覧。
●中尉︵Lieutenant︶ - "No. 12959". The London Gazette (英語). 26 January 1788. p. 47. 2013年1月27日閲覧。
●第76歩兵連隊 - 見つけられず
●第41歩兵連隊 - "No. 12958". The London Gazette (英語). 22 January 1788. p. 40. 2013年1月27日閲覧。
●第12軽竜騎兵連隊 - "No. 13121". The London Gazette (英語). 8 August 1789. p. 539. 2013年1月27日閲覧。
●大尉︵Captain︶ - "No. 13347". The London Gazette (英語). 27 September 1791. p. 542. 2013年1月27日閲覧。
●第51歩兵連隊 - 見つけられず
●DNBで58thなので誤記ではないでしょうか
●第18王立軽竜騎兵連隊 - "No. 13488". The London Gazette (英語). 25 December 1792. p. 976. 2013年1月27日閲覧。
●第33歩兵連隊, 少佐︵Major︶ - "No. 13542". The London Gazette (英語). 29 June 1793. p. 555. 2013年1月27日閲覧。
●中佐︵Lieutenant-colonel︶ - "No. 13596". The London Gazette (英語). 23 November 1793. p. 1052. 2013年1月27日閲覧。
●大佐︵Colonel︶ - "No. 13892". The London Gazette (英語). 14 May 1796. p. 460. 2013年1月27日閲覧。
●少将︵Major-general︶ - "No. 15478". The London Gazette (英語). 8 May 1802. p. 467. 2013年1月27日閲覧。
●バス勲章 - "No. 15732". The London Gazette (英語). 28 August 1804. p. 1069. 2013年1月27日閲覧。
●1804年にこれと別にナイトに叙されているという根拠が見つけられませんでした。バス勲章受勲でサーとなったのではないでしょうか。なお受勲時一等級だったバス勲章は1815年に三等級に分けられましたが、ウェリントンは一等のナイト・グランドクロスになっています︵"No. 16972". The London Gazette (英語). 4 January 1815. p. 18. 2013年1月27日閲覧。︶
●中将︵Lieutenant-general︶ - "No. 16142". The London Gazette (英語). 3 May 1808. p. 622. 2013年1月27日閲覧。
矛盾しないものは本文に追加しましたが、他は扱いが難しそうなのでこちらに書いておきます。―霧木諒二 2013年1月27日 (日) 07:28 (UTC)
- 情報提供ありがとうございました。頂いた情報をもとに手直ししてみました。--Omaemona1982(会話) 2013年1月27日 (日) 13:48 (UTC)
ウェリントン公爵を演じた人物について[編集]
テレビドラマ『炎の英雄 シャープ』でウェリントン公爵を演じたヒュー・フレイザーを追加させていただきました。--Ishino(会話) 2013年2月3日 (日) 12:39 (UTC)
- 加筆ありがとうございました。--Omaemona1982(会話) 2013年2月3日 (日) 12:41 (UTC)
鉄道嫌いの出典募集[編集]
2012年12月6日 (木) 13:48以前の版に﹁史上初の鉄道の開通式︵1825年︶に招かれた賓客でもあったが、ロケット号による死亡事故が起きて以後は大の鉄道嫌いになったといわれる。﹂という記述がありましたが、寡聞にして出典を見つけられなかったため改定の際に除去いたしました。しかしGA選考で有名なエピソードとの指摘を受けましたので、出典をご存じの方がありましたら、改めて加筆していただくか、こちらで紹介していただけると幸いです。よろしくお願いいたします。--Omaemona1982︵会話︶ 2013年3月24日 (日) 16:46 (UTC)
とりあえず手持ちの出典で追加しました。ただ、鉄道嫌いになったという記述は手元の出典ではなかったので、ちょっと半端な感じの記述になってしまいました。ただこの記事にも元から出ていたハスキソンとの関わりなのであって良いかと思います。出典の示し方など、とりあえずfull citationで入れてあるので他に合わせて手直ししてもらえると助かります。また、英雄である首相をマンチェスターでも出迎えなければ市民の反発を受けると説得されて式典を続行した、と手元の文献にはあるのですが、en:Liverpool and Manchester Railwayではマンチェスターでは首相は労働者階級から不人気で反発を受けたとあって矛盾しているので、そのあたりを書けませんでした。--Tam0031︵会話︶ 2013年3月24日 (日) 17:16 (UTC)
加筆ありがとうございました。英雄視と不人気の矛盾はちょうど同じ1830年ころに起こっていた選挙法改正問題のせいかもしれません。ナポレオン戦争の戦功で英雄視されるが、政治家としては選挙法改正反対論者だったので嫌う人も多かったようなので。いずれにしても今回加筆いただいた記述だけでも十分な情報量と思います。ありがとうございました。--Omaemona1982︵会話︶ 2013年3月24日 (日) 17:52 (UTC)
概要節のページ内リンクは読みにくいくないか? 必要か?[編集]
概要節にページ内リンクが書いてありますが、斜体字の文章は可読性が悪い。読者へのガイドとして良かれとして設置されていると思いますが、邪魔ではないか? リンク文字を長い文章にするならば、括弧で区切らずに、概要節の本文の文章にリンクを付けた方が良い。繰り返しで、斜体文字は読みにくいだけではないでしょうか? もちろんリンク文字も適度な短さであった方が良いのは言うまでもありません。
アイルランド貴族の初代モーニントン伯爵ギャレット・ウェズリーの三男としてアイルランド王国首都ダブリンに生まれる︵→出生 (1769年)︶。イートン校に通った後、フランスの士官学校を卒業する︵→学業 (1781年-1787年)︶。1787年にイギリス陸軍に入隊︵→初期の軍歴 (1787年-1793年)︶。1794年にはフランス革命戦争のベルギー・オランダ戦線でイギリス軍の退却作戦を支援して活躍した。これが初めての実戦経験となった︵→フランス革命戦争での初陣 (1794年-1795年)︶。
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概要節が全体の要約であるわけで、目次も細かく分けているのであれば、そもそもイチイチ細々とページ内リンクを付ける必要性があるかも、検討する必要があるでしょう。この状態はさすがに過剰なリンクであると云わざる得ません。読み手にとって、親切もここまですると、うざったくないでしょうか。ここはあくまでも概要であるので、概要を目次化する必要性はないでしょう。目次は別にある。しかも人物記事で、時系列で書かれているのは誰でもわかるので、どこら辺に書かれているのか迷いにくい記事です。ガイド不要でしょう。
現状は、リンク過剰の文章の疑いが濃いです。改善すべき点ではないでしょうか。リンク文字だらけは読みにくい。--Quark Logo︵会話︶ 2016年12月3日 (土) 02:18 (UTC)
コメント対策についてはともかく、現状に対する感想としてはQuark Logoさんと同じように﹁ちょっと読みにくいかな﹂﹁過剰﹂は感じます。概要節のボリュームと本文の各子節のボリュームを見比べると、1文毎にページ内リンクをするのはやりすぎかなという感じはします。一般論として、概要節における1段落毎ぐらいに末尾に﹁詳細は○○節参照﹂がある程度なら苦に感じないのですが・・・。--柒月例祭︵会話︶
返信 (㭍月例祭さん宛) どうしても内部リンクを残したいなら・・・邪魔にならない配慮をということで、私の基本的な意見は、必要ない︵削除︶です。--Quark Logo︵会話︶ 2016年12月3日 (土) 07:22 (UTC)
1週間しても︵本文の記述者から︶返答ないのですが、該当のページ内リンク部分の斜線字は削除するということにしますが、よろしいでしょうか? 発言なければ、このまま削除編集します。--Quark Logo︵会話︶ 2016年12月9日 (金) 03:34 (UTC)
本記事の主要執筆者です。返信が遅れても仕分けありません。この概要の書き方はフィンセント・ファン・ゴッホの概要の書き方に倣ったものでした。本文のどこからの概要なのか分かりやすく、その部分だけ詳しく見たい時にも便利だと思い、以降この﹁ゴッホ形式﹂を使わせていただいておりました。また個人的経験の話になりますが、本文のここの部分の概要だと明示しておかないと概要部分にだけ追記する人が現れやすくなり、結果いつの間にか本文に書かれていないことが概要にだけ書かれているという﹁概要になってない概要﹂にされてたりすることがしばしばあったのでこの書き方を好んでおりました︵事実この書き方にしてからそういう経験が減りました︶。しかしこの記事はゴッホの記事に比べて章題が長くなっているためゴッホの記事に比べて可読性を損なっているといえばその通りかもしれません。特にカッコつきで年代を入れたのが内部リンク(斜線部分)が長くなった原因になってしまったかもしれません。そこで概要部分の内部リンク(斜線部分)について全削除ではなく、ひとまず年代を除去するということでいかがでしょうか。これだけでも結構印象は変わると思います。たとえば﹁''[[#インド征服戦争 (1796年-1805年)|→インド征服戦争 (1796年-1805年)]]''﹂を﹁''[[#インド征服戦争 (1796年-1805年)|→インド征服戦争]]''﹂という感じで。--Omaemona1982︵会話︶ 2016年12月10日 (土) 21:47 (UTC)
- 返信 (Omaemona1982さん宛) ゴッホの概要よりも、ウェリントンの概要はかなり長いので、概要の書き方を変えるという手もあるかもしれません。本文と同じように時系列で書く必要はないのではないかと。もっとコンパクトにまとまりのある段落にした方がよいのでは。要約だといっても、本文に出てくる内容をすべて取り上げる必要性はありません。よい要約文には大胆な省略も必要です。すべての経歴を示したいというならば、年表などを作るとよいと思います。表と概要を併記すると説明を省けて一目瞭然です。あと軍人のキャリアと政治家のキャリアで小節に分けた方が読みやすくないでしょうか。取りあえず、リンク文字列を短くすることは必要ですし、最初に書いた右のように斜体字を使わない方が、読みやすいと私は思います。検討下さい。--Quark Logo(会話) 2016年12月11日 (日) 13:47 (UTC)