ノート:トハラ人
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改名提案[編集]
﹁トハラ﹂を﹁トハラ人﹂へ改名したいと思います。もともとこの記事はトハラ人︵トハラ族︶に関する記事であったものを、途中からトハリスタンに変えられてしまったようなので、トハリスタンはバクトリアに譲り、この記事は﹁トハラ人﹂に改名してトハラ人に関する記事にしたいと思います。--トムル 2010年5月3日 (月) 09:40 (UTC)
改名します。--トムル 2010年5月10日 (月) 07:56 (UTC)
↑訂正します。現在、管理者権限の必要な記事の移動︵Wikipedia:移動依頼︶を依頼中です。--トムル 2010年5月15日 (土) 17:23 (UTC)
報告 Wikipedia:移動依頼での依頼に基づきトハラをトハラ人に移動しました。--Penn Station 2010年5月17日 (月) 14:57 (UTC)
感謝します。ありがとうございました。--トムル 2010年5月18日 (火) 03:18 (UTC)
トカロイとトカラ人[編集]
私が主に執筆したこの記事は主として古代ギリシア・ローマの史料に記されている﹁トカロイ﹂についてであり、クシャーナ朝以降の吐火羅人や言語民族としてのトカラ人︵亀茲人,焉耆人,高昌人︶についてではありません。ギリシア・ローマでいう﹁トカロイ︵トカラ人︶﹂とそれ以後の﹁トカラ人﹂は名称が同じであっても、同じ民族であるとは未だ断定されていません。また、﹁トカロイ﹂についてなので、中国語の表記は書く必要がないです。もし、記事名の﹁トハラ人﹂がトカラ人と混同するようであれば、この記事を﹁トカロイ﹂に改名することを提案します。--トムル 2011年3月4日 (金) 09:44 (UTC)
そうですね、トカロイとトハラ人が別であるなら同じページに書くのも不自然ですから、﹁トカロイ﹂を新たに立て﹁トハラ人﹂と分けるのがよいと思います。あと、トムルさんの編集したページは何所も質量共に充実しているので楽しく拝見していますが、このページに関しては元々が﹁トハラ人﹂として立てられているので、改名ではなく別個に﹁トカロイ﹂を立て移すべきでしょう。--220.104.214.151 2011年3月4日 (金) 10:08 (UTC)
ありがとうございます。しかし、元々この記事︵以前は﹁トハラ﹂︶は﹁トカロイ﹂の内容であるので、今までの編集履歴を別の記事にするのは避けたいです。また、曖昧な表現である﹁トハラ人︵トカラ人︶﹂という記事を別に新設することも避けたいです。私が思うに今回IPさんが参考にされた﹃吐火羅人起源研究﹄︵中国の出版物でしょうか?︶という本はいわゆる吐火羅人︵トハリスタンのトカラ人︶を指す内容だと思いますので、その情報は﹁大夏﹂の記事に書かれるのがよろしいかと思います。トカラ語の話者としてのトカラ人についてであれば、﹁トカラ語﹂の記事もしくは﹁亀茲﹂,﹁焉耆﹂,﹁高昌﹂などの記事にその情報を書くのがよろしいかと思います。--トムル 2011年3月4日 (金) 13:37 (UTC)
出版社を日本語表記出来ないので題名のみにしてます。一通り読んだものの色々な説が併記されてるうえに結論めいたものすら出ていないので何が何やらさっぱりですが、とりあえずトカラ人︵トハラ人︶というのは中国国内に限らずトカロイや月氏に滅ぼされた大夏、吐火罗人から東のトカラ語話者まで含めた、突厥によってテュルク化する以前の全てのトカラっぽい人に対して使用され、かつ同一のトカラ人として括られているようです。ので、今の記事を保全しつつ付け加える形で編集したいと思いますがどうでしょうか? それと、大夏に関してはグレコ・バクトリア王国以前からタクラマカン砂漠の外を大夏と呼んでいた漢字文献があるそうです。またアシオイ,パシアノイ,トカロイ,サカラウロイの四種族が月氏を指すとする説は、根拠そのものが時代も距離も遠く離れた歴史書なためあまり考慮されていないとも。--220.104.214.151 2011年3月4日 (金) 16:59 (UTC)
﹁グレコ・バクトリア王国以前からタクラマカン砂漠の外を大夏と呼んでいた漢字文献﹂が何なのかが気になります。また、歴史関係で慎重な立場をとるのが大事だと思うので、トカロイ,吐火羅人,トカラ語話者を混ぜるのは少々危険な気がします。脚注で諸説を挙げるのがよろしいかと思います。--トムル 2011年3月5日 (土) 03:31 (UTC)
正直ちょっと何言ってるか解らないですね、というか読み違えていたのですが、外縁部の且末~于闐間地域が中国人から大夏と呼ばれ︵逸周書、山海経、史記、漢書、その他、漢書地理志にあるのは確認︶、仮説として集団の一部が月氏より早い段階で西進してバクトリアへ侵入したため大夏と呼ばれたとする説があり、これは︵トカロイと吐火羅人とトカラ語話者の関係が矛盾無く説明できるため?︶支持者が多いそうです。 この本を読む限りだと、具体的に言及されてはいませんが研究者は西方史籍のトカロイ等と吐火羅人,トカラ語話者を同一視してるように感じますし、大月氏やクシャン朝でもトカラ語話者が支配層の一部を占めていたようなので、断定しない形で本文に記載してもいい様に思いますがどうでしょう?--220.104.214.151 2011年3月5日 (土) 09:29 (UTC)
興味深い説なので載せてもいいと思います。今新たに項を設けたのでその辺にでも記載してください。--トムル 2011年3月5日 (土) 10:20 (UTC)