ノート:ムハンマド (曖昧さ回避)
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(ノート:ムハンマドから転送)
わざわざ分離しなくても良かったと思うんですけど…。
﹁全名﹂の基準はどうするんでしょ。[[アブー=バクル・アッ=スィッディーク・アブドゥッラーフ・イブン=アビー=クハーファ]]なんて記事名でつくらなくちゃならないかとならないのかと思うと目が回りますが。Safkan 09:55 2003年10月23日 (UTC)
記事名は全名である必要はなく、﹁アブー=バクル﹂はそのままでもかまわないでしょう。﹁ムハンマド﹂は同名の国王や一般人などがたくさんいますからね。1世、2世は後からつけたものですし。アラビア語ちゃんねる 10:20 2003年10月23日 (UTC)
うーん、普通﹁ムハンマド﹂と何もつけずに言えば預言者のことを指すような気がするんですけどねえ。釈迦のようにすればよかったのでは、と思いました。今更でしょうけど。Safkan 10:28 2003年10月23日 (UTC)
イスラム教の文脈でいえば﹁ムハンマド﹂で十分ですが、ここは宗教的に中立な百科事典なので、あえて父称を入れてみたわけです。アラビア語ちゃんねる 10:34 2003年10月23日 (UTC)
長い名前だと今後リンクを張るときに面倒なので、REDIRECTでムハンマド (預言者)とアリー (イマーム)をつくってみました︵横着︶。Safkan 10:45 2003年10月23日 (UTC)
一晩経ってから考え直しましたが、イスラム教の立場かどうかにかかわらず、一般的にも、○世だのアブドゥルワッハーブだのを付けないで、単に﹁ムハンマド﹂といった場合、やはりイスラム教の預言者ムハンマドを指すのではないでしょうか。﹁宗教的に中立な百科事典なので、あえて父称を入れる﹂という反論は、キリスト教の開祖としてのナザレのイエスが多くの箇所においてイエス・キリスト︵救世主イエス︶として言及されていても誰も違和感を抱かないのを鑑みると、無意味だと思えます。なお、アラビア語ちゃんねるさんはノート:マッカで英語版のMeccaがMakkahに移動されたことを自論の根拠に用いられていますが、それが﹁Changed 'Mecca' (which is offensive to Muslims) to Makkah﹂という理由で行われて受け入れられた点、英語版のみならずほとんどの版でムハンマドに関する記事がMuhammadかそれの転訛形の記事名によって存在している点から考えると、そもそもお互いの基準が矛盾します。
もっと利己的な立場から言うと、記事を執筆するときに、いちいち[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]なんて長たらしく書かなくちゃならんのかと思うとうんざりします。Safkan 21:57 2003年10月23日 (UTC)
●ふつうの百科事典では、西洋人は﹁姓だけ﹂﹁名だけ﹂がふつうですが、Wikipediaではできるだけ姓と名の正式な名前を載せる事になっています。またふつうの事典に比べてかなりマイナーな人物も取り上げます。いくらか知られている﹁ただのムハンマド﹂は幾人もいると思うので、﹁ムハンマド﹂は名前と曖昧さ回避の記事とし、預言者の方はできるだけ正式な名前にした方がいいと思うわけです︵それでも祖父と息子の名は省いてあります︶。
●(イエスはキリスト教の開祖ではありませんが、)実在の人物らしい(?)ナザレの﹁イエス﹂の記事と、信仰の対象︵または想像上の人物?︶としての﹁イエス・キリスト﹂の記事はいちおう別になっているので、ムハンマドとは比較になりません。ちなみに﹁釈迦﹂と﹁釈迦如来﹂も別になっているようです。
●英語版でMeccaのMakkahへの移動が受け入れられた背景には、宗教以外にも学術的な意味が大きいと思います。英語圏以外の事情には詳しくありませんが、転訛形から原語に近い表記に移行する動きは大なり小なりあるのではないでしょうか。
●シーザーをいちいち﹁ガイウス・ユリウス・カエサル﹂なんて長たらしく書かなくちゃならんのかと思う利己的な人もいるでしょうね。西洋人名はみな長たらしいのを我慢するのがWikipediaのルールです。Wikipediaでやっていこうと思われるのなら、この正式名ルールは我慢しましょう。アラビア語ちゃんねる 06:40 2003年10月24日 (UTC)
●箇条書きに対しては箇条書きでご返答します。
●﹁釈迦﹂と﹁釈迦如来﹂を例に出されるのであれば、釈迦如来にあたるのがムハンマドではありませんか? 私は、これを引き合いとされても納得しかねます。
●﹁学術﹂的な文献で好まれる転写方式ではターマルブータにhはつけないように思います︵確か、EIもそうですね︶。おそらくMecca>Mekkahの移行は﹁学術﹂とはあまり関係ないでしょう。原綴り重視主義というよりはむしろ、学術的には宗教的に公平を期さねばならぬからoffensive to Muslimsを避けようという理屈でしょう。
●それから、揚げ足取りのようで申し訳ないですが、
●記事名は全名である必要はなく、﹁アブー=バクル﹂はそのままでもかまわないでしょう。アラビア語ちゃんねる 10:20 2003年10月23日 (UTC)
●ふつうの百科事典では、西洋人は﹁姓だけ﹂﹁名だけ﹂がふつうですが、Wikipediaではできるだけ姓と名の正式な名前を載せる事になっています。アラビア語ちゃんねる 06:40 2003年10月24日 (UTC)
●ということでは、失礼ながらその場限りの反論で、矛盾したことは仰っているように感じましたが…。﹁それでも祖父と息子の名は省いてあります﹂では﹁フルネーム﹂をアラブ名に適用する基準が現状ではまったく恣意的である証拠に過ぎず、これは承服しかねます。
そうそう、実在の人物としての教祖たるバハーウッラーも本名じゃない記事名でした。この理屈に従えばこれも直さなくてはいけませんね…。Safkan 08:37 2003年10月24日 (UTC)
●では箇条書きで
●﹁釈迦如来﹂に対応するのは強いてあげれば﹁アッラーフ﹂や﹁天使﹂でしょう。実在の人物﹁釈迦﹂に対応するのが﹁ムハンマド﹂でしょう。
●アラビア文字の翻字は多種多様ですが、発音を尊重するならhを入れた方がいいです。辞典内で統一されていればいいのです。英語版WikipediaではSAMPAも使われており、統一されているとはいいがたいです。
●Mecca>Mekkahの移行‥実際に移動した人の動機は宗教かもしれませんが、原音尊重の風潮がなければ移動は難しかったでしょう。
●揚げ足取り‥例えば﹁ピカソ﹂の全名は非常に長くて全部載せる必要はないですが、個人名を入れて﹁パブロ・ピカソ﹂にするのが相場でしょう。本当の個人名のほかに広く通用している名があればそれを尊重することもあり得るでしょう。英語版では、Abu-Bakr はそのままですが、他の3人の正統カリフにはみな父称をつけています。その場限りの反論ではありません。
محمد بن عبدالله は実際にアラビア語サイトで見かけた表記だから採用したのです。アラビア語ちゃんねる 14:47 2003年10月24日 (UTC)
>﹁釈迦如来﹂に対応するのは強いてあげれば﹁アッラーフ﹂や﹁天使﹂でしょう。
その理屈ではハキーカ・ムハンマディーヤあたりに関する記述が浮きますが。実在のムハンマドと宗教上のムハンマドを分けることは不合理だからこそ宗教上のムハンマドに揃えるべきと考えたのですが。
>辞典内で統一されていればいいのです。
私は先の発言でそんなことを言いたかったのではなく、逆にバラバラだからこそ、﹁原音主義は学術的だから正しい﹂という理屈は英語版に成り立たず、英語版をアラビア語ちゃんねるさんの主張の論拠とするには弱いと申し上げたのです。もちろんここでの論点にあまり関係ある議論ではありません。
>英語版では、Abu-Bakr はそのままですが、他の3人の正統カリフにはみな父称をつけています。
英語版ではMuhammadで父称はない上、Muhammad ibn Abd al WahhabやMuhammad Aliなどへの導入はありませんので、英語版を論拠として提出されても納得しかねます。
>محمد بن عبدالله は実際にアラビア語サイトで見かけた表記だから採用したのです。
Muhammad ibn Abd Allahで検索してもいくつかそれらしいものがヒットしますね。全名については納得いきましたが…上の点がまだひっかかります。
ちなみに、英語版をさらに引き合いにすればVeniceのように同名を処理している例もありますので、これを真似るべきではないかというのが現時点での私の考えです。Safkan 15:42 2003年10月24日 (UTC)
●>ハキーカ・ムハンマディーヤ‥後世の神秘主義はムハンマド本人とは直接関係がないので、神秘主義の記事中に書いて、そこへリンクを貼ればよいのではないですか。
●>バラバラ‥Wikipediaは個々のユーザがバラバラに投稿しているので、まんべんなく均すのには時間がかかるでしょう。しかし、長い目で見れば原音への近似が進んでいくと思います。だからといって﹁ナンデモカンデモ原音﹂というわけではありませんが。
●>英語版ではMuhammadが父称でない‥正統カリフ3人が父称になっています。信仰的観点からはMuhammadを父称にはしにくいかもしれませんが、そこに気づいた中立的な人が移動する可能性もあると思います。曖昧回避ページになればリンクが貼られるでしょう。ワッハーブやムハンマド・アリーは導入しなくていいと思います。
●﹁Venice (disambiguation)﹂のようなやり方は、日本語版では使われていませんから現状では難しいですね。アラビア語ちゃんねる 16:50 2003年10月24日 (UTC)
ふうむ。確かに、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフを歴史上の人物としてのムハンマドに関する記述に絞れば済むといえば済みますねえ…。あまり拘るなら﹁ハキーカ・ムハンマド﹂という記事を別に立てればよいわけですし。結局バラバラの問題は、アラブ名にルールがないから、問題なんじゃないかという気もしてきました。それならば、定冠詞や﹁イブン﹂は﹁=﹂で繋ぐ、とか、原則としてウマイヤ朝などの﹁王朝﹂の君主以外は必ずイスムあるいはクンヤに父称あるいはニスバをつける、とか、もっぱらイスムよりラカブで呼ばれる人物はラカブによる、とか、おおざっぱでも日本語版の約束としてルール化すれば良いように思います。例としては﹁ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ﹂﹁アブー=ハーミド・ガザーリー﹂﹁ムアーウィヤ (ウマイヤ朝)﹂﹁ニザーム・アル=ムルク﹂となるでしょうか︵ニスバに定冠詞をつけるかどうかが問題になりますが︶。
ただ、それでもやはりクンヤで呼ばれるアブー・バクルが迷うところです。検索した限りでは﹁Abu Bakr al-Siddiq﹂がフルネームに準じるものとして使われることがわりあい多いようですが。Safkan 17:13 2003年10月24日 (UTC)
ルール作りには賛成です︵アラブ、イスラームに限らず︶。各種イスラーム事典の方針なども参考にすれば、そう難しくはないでしょうね。アラビア語ちゃんねる 18:29 2003年10月24日 (UTC)
では、上の試案に加えて、岩波イスラーム辞典の方式とこれまでのWikipedia上の慣行を折衷して、﹁イブンとアブーは後ろとイコールで繋ぐ﹂﹁一般にイブン某の名前で知られている人物は、イスムやクンヤを省く︵イブン=バットゥータ、イブン=スィーナー︶﹂﹁現代人はアーンミーヤを優先する︵サッダーム・フサイン→サッダーム・フセイン、ウサーマ・イブン=ラーディン→ウサーマ・ビンラーディン、ジャマール・アブドゥン=ナースィル→ガマール・アブドゥン=ナーセル︶﹂﹁イダーファを除き定冠詞は省く﹂﹁イダーファは分かち書きする﹂﹁イランのペルシア語名は、前近代をアラブと同じ約束に立ち、現代は現代ペルシア語の発音に準じる﹂﹁オスマン語名は、現代トルコ語に準じる﹂﹁国名などいちじるしく慣用化した地名は、慣用に従う﹂
如何でしょうか? Safkan 18:55 2003年10月24日 (UTC)
●現状の慣行と折衷するなら、﹁ただし、アブド・○○などイダーファが分かちがたい人名をなす場合は分かち書きしない﹂と加えるべきですね…。Safkan 21:38 2003年10月24日 (UTC)
アラブおよびその他のイスラム系の人名についての記事名ルール案[編集]
●参考:人名#イスラム圏の名前 ﹁これまでのWikipedia上の慣行﹂はそんなに気にしなくてもよいのでは?TS 00:27 2003年10月25日 (UTC) では、以下のように改めて提案しなおします。 ●アラブ諸国およびイランのアラビア語名は標準アラビア語の発音に準ずるが、現代人はその国での呼び方を優先する。 ●オスマン人はオスマン語を優先し、現代トルコ語の発音に準じる。︵例えば、メフメトはムハンマドとしない︶ ●定冠詞︵アル、アン、アッ︶は﹁=﹂で繋ぐ。 ●イダーファ︵○○・アル=○○︶を除き、原則として記事名からは定冠詞を省略する。 ●イダーファは原則として分かち書きするが、アブドゥル○○など、イダーファによって二つ以上の単語が分かちがたい名前をなすと見られる場合は例外として分かち書きしない。 ●ウマイヤ朝・アッバース朝など﹁王朝﹂の君主は、イスム︵本人の名︶あるいはラカブ︵尊称︶に適宜﹁○世﹂などを付加した形を記事名とする。 ●原則としてて上記以外は、必ずイスムあるいはクンヤ︵アブー・○○︶にナサブ︵イブン○○︶あるいはニスバ︵出自名・家名︶をつける。 ●もっぱらラカブのみによって知られる人物はラカブのみによって記事名とする。︵例えば、ラシード・アッ=ディーン︶ ●もっぱらナサブのみによって知られる人物はナサブのみによって記事名とする。︵例えば、イブン・スィーナー︶ まだ抜け落ちている点があればご指摘ください。Safkan 08:21 2003年10月25日 (UTC) よけいな事かもしれませんが、将来的には﹁現代人﹂かどうかの判断が難しい人物の項目が出てくると思いました。西暦何年から現代人となるのでしょう?とりあえず今は、そのような人物の項目など作られないでしょうが。﹁もっぱらラカブのみによって知られる﹂﹁もっぱらナサブのみによって知られる﹂人物というのも揉める元になりそうな感じがしました。﹁もっぱら~によって知られている﹂のかどうかは根拠がなかなか示しにくい様に思いました。例が悪いですがイブン・スィーナーじゃだめだ、項目名として︵ラテン名の︶アビセンナじゃないとだめだ!と主張する人が現れたら説得が困難なような・・・︵なぜナサブがokでラテン名がだめなのか︶ううん、たとえが悪いですね、うまく言えませんが。︵細かい事なのでさらっと流してください・・・︶TS 16:02 2003年10月25日 (UTC) なるほど確かに問題ありですね。では、﹁現代人﹂は、岩波イスラーム辞典にならって﹁第一次世界大戦以降に活躍した者﹂というとりあえずの基準を提案します。﹁もっぱら…﹂のほうは、今はいい解決策が思いつかないですね…。Safkan 21:11 2003年10月25日 (UTC) ﹁現代人﹂はとりあえず﹁第一次世界大戦以降に活躍した者﹂という基準でいいと思いました。TS 08:43 2003年10月26日 (UTC) 現在、ルールについての議論はWikipedia:記事名の付け方/アラブ人等イスラム系の人名に移っています。移動の提案[編集]
現在あいまいさ回避になっているこの項目ですが、ここへリンクしているものをみるとほとんどが預言者ムハンマドへのリンクです。ある意味余計な手間を読者に強いる事になるので、次のような解決策を提案します。
●現在のこの項目をムハンマド (曖昧さ回避)へ移動
●ムハンマド自体はムハンマド・イブン=アブドゥッラーフへのリダイレクトにする。
●ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ冒頭または末尾には﹁他のムハンマドについてはムハンマド (曖昧さ回避)を参照のこと﹂と誘導を入れる。
いかがでしょうか。--[[利用者:Aphaia|Aphaea*]] 2004年12月3日 (金) 18:43 (UTC)
ムハンマドをムハンマド・イブン=アブドゥッラーフにリダイレクトした場合、上の議論でアラビア語ちゃんねるさんの主張の主眼であった﹁ムハンマドだけで預言者を指すのは非中立的﹂を結局否定することになってしまいますので、そこのところから再考する必要があります。もっとも私は当時も今も父称をつけないのが中立的であるとも父称をつければ非信仰的になるとも思っていませんが。さらにいえば、Aphaiaさんの提案によると、現実に非イスラム教徒の多くが単にムハンマドといえばムハンマド・イブン=アブドゥッラーフをさしており、Aphaiaさんのようにリダイレクトで処置したほうが良いと考える非イスラム教徒の日本語話者もいるのだ︵まあ、Safkanも非イスラム教徒ですが…︶というように解釈できそうですが、どうでしょうか。
ただその場合、上の1年前の議論でも出てますけど[[○○ (曖昧さ回避)]]をすることが許され、かつムハンマドが曖昧さ回避になっている現状を避けたい、余計な手間を避けたいというのであれば、多くのムハンマドが預言者のムハンマドにあやかってつけられた名前であることも明白ですんで、現在のムハンマド・イブン=アブドゥッラーフの記事をムハンマドに移動させたほうがベターと思います。1年前の時点では論議されてないですが、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフで立項してる百科事典なんてほぼ全くありませんということも論拠として付け加えておきます。Safkan 2004年12月6日 (月) 04:45 (UTC)
●ちなみに、このノートでの議論の後で、アラビア語版の記事が﹁محمد﹂から﹁محمد بن عبدالله﹂に移動されているようで、アラビア語版でも単なる﹁ムハンマド﹂より﹁ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ﹂の方が中立的だと判断されたようです。アラビア語ちゃんねる 2005年11月15日 (火) 09:36 (UTC)
私としては、単純に、リンクの大部分が集中しているという理由でAphaia氏の提案に賛成です。﹁曖昧さ回避﹂のあり方に中立性の議論を持ち込むのであれば、リンクの集中を理由に、﹁曖昧さ回避﹂非経由でリダイレクトされているその他すべての項目についても再検討せざるをえないと思います。--N.h.n 2007年3月22日 (木) 12:17 (UTC)
Aphaia氏の提案には私も異論がないので、︵あらためて議論は不要と思われたので︶そのように対処しました。アラビア語ちゃんねる 2007年3月23日 (金) 15:14 (UTC)