ノート:ルネ・デカルト

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パスカルとのパリでの交流?[編集]



16231625
使
1628--211.120.17.133/Whois 2007-05-19 07:42:52 (UTC) 稿

162316251623 --60.62.103.53/Whois 2007-05-20 20:54:51 (UTC) 稿
言われてみればたしかに。よく気づかれましたね。1623年から1625年の間に、(1623年生まれの)パスカルとデカルトが交友を深めた、では意味が通りませんね。とりあえずコメントアウトしました。--Was a bee 2007年5月21日 (月) 02:47 (UTC)[返信]
そうですね…。デカルトとパスカルとの出会いはそのずっと後かな? 失礼しました。--Shinya1739 2007年5月26日 (土) 17:18 (UTC)[返信]

デカルトが参加していた生体解剖について[編集]

デカルトがアムステルダム時代に生体解剖に積極的な参加をしていた記述がありません。 これはデカルトにネガティブなイメージを加えることを意図しているのではありません。 デカルトは解剖実験により脳の松果体が左右対称でなく独立した器官であることから 肉体と魂を融合させる器官ではないかという仮説を唱えました。 心身二言論を彼なりに克服しようとした試みといえます。 結構重要なことだと思うのですが? 尚文献として下記を挙げます。

ジュヌヴィエーヴ・ロディス=レヴィス 「デカルトと合理主義」福居純訳、「デカルト伝」飯塚勝久訳 未来社 --Absolutism 2008年9月24日 (水) 21:38 (UTC)[返信]

間違えました“生体解剖”ではなく“死体の解剖”です。--Absolutism 2008年9月24日 (水) 22:07 (UTC)[返信]
やっぱり取り消します。英語版を見ると載ってませんし全体の構成からいっても不自然なエピソードに なってしまいそうですので。--Absolutism 2008年9月25日 (木) 08:30 (UTC)[返信]

「エゴ・コギト・エルゴ・スム」がデカルト自身による記述です[編集]

詳細につきましては、私のブログ<http://plaza.rakuten.co.jp/neuron/diary/201001010000/>をご参照ください。--以上の署名のないコメントは、Yuzo seo会話投稿記録)さんが 2011-10-05 05:47:01‎ (UTC) に投稿したものです。

方法序説をラテン語に訳した人はクルセルでした[編集]

メルセンヌが訳したとの記述がWikipediaの各所にみられますが、これらは修正する必要があります。 また、クルセルのラテン語訳も“Ego cogito, ergo sum”で、主語Egoは記述されています。クルセルのラテン語訳はネット上でも参照することができます。p20の右下隅とp21の中央付近にこの語句がありますのでご確認ください。

クルセルがラテン語に訳した際にはデカルトが監修していたこと、クルセルのラテン語訳とデカルト自身がラテン語で記述した哲学原理がほぼ時を同じくして出版されていることから、この言葉に主語“ego”を含めるとの判断はデカルト自身によってなされたものと考えて、まず間違いはないでしょう。

従って、関連するWikipediaの記述からは、メルセンヌの翻訳云々の部分を削除し、デカルト自身の言葉として“Ego cogito, ergo sum”を記述するのが適当かと思われます。この修正はわたしがしてもよいのですが、かなり大幅な修正になりますので、元記事を書かれた方に修正していただくのがよろしいのではないかと思います。長期にわたり修正されないようでしたら、私が修正いたします。--Yuzo Seo --以上の署名のないコメントは、Yuzo seo会話投稿記録)さんが 2011-10-06 15:25:10 (UTC) に投稿したものです。