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ノート:下総国

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「下総国司」への記事分割提案[編集]


  Wikipedia:#:#-- 2012318 () 13:01 (UTC)[]

行政区の変遷について[編集]

明治維新後の「県」はそれ以前の「国」に由来するわけではなく、明治維新前の「国」は行政区だったわけでもありませんので、そもそもテンプレートが貼られているのがおかしいのでは?--180.42.229.41 2013年1月30日 (水) 02:04 (UTC)[返信]

賛成 確かにそうですね。テンプレートを外すことに同意します。--Saigen Jiro会話2013年1月30日 (水) 02:22 (UTC)[返信]
ありがとうございます。内容が不正確だと思ったので直してみたのですが、テンプレートを剥がすかどうかはSaigen Jiroさんにお任せしたいと思います。--180.42.229.41 2013年1月30日 (水) 02:32 (UTC)[返信]
言ってはみたものの「区域の変遷」ならば良いのではと思い、残す方向に考え直しました。ただ令制国から近代の行政区への大きな変化であり、そのつながりが薄いため、とりあえずカッコ付けをしてみました。--Saigen Jiro会話2013年1月30日 (水) 04:02 (UTC)[返信]

上総下総の名前について[編集]

別にどちらでも良いので差し戻すことはしませんが、畿内からの距離は上総国の方が近いというのは地図をみれば一目瞭然ではないでしょうか?--121.113.84.108 2013年10月10日 (木) 04:02 (UTC)[返信]

まず確認ですが、これは律令の制定時期の話ですので、この8世紀当初に地形が現在のように把握されていたかは明らかではありません。
それに加えて、豊前(大分県の宇佐付近)・豊後(大分県大部分)や肥前(佐賀県以西)・肥後(熊本県)の例のように「都から近い」が「直線距離的に」でなく「ルート的に」であることは明らかと思われますので、差し戻させて頂きました。--Saigen Jiro会話2013年10月10日 (木) 04:23 (UTC)[返信]
(追記) 私が「根拠不明」としたのは、「上総の方が直線距離的に近いこと」に対してではなく「ルート的にではなく直線距離的に近いことに国名が基づく」ことに対するものですので、その出典が提示されれば私の編集を取り消しいたします。--Saigen Jiro会話2013年10月10日 (木) 04:28 (UTC)[返信]
当方としましては、Saigen Jiroさんがそう仰るのであれば、反対する理由は全くありませんので、今後も更なる活躍を期待するところです。--121.113.84.108 2013年10月10日 (木) 22:24 (UTC)[返信]
ご理解に感謝申し上げます。--Saigen Jiro会話2013年10月10日 (木) 23:44 (UTC)[返信]