ノート:尾崎行雄
雅号について [編集]
尾崎行雄﹃尾崎咢堂全集﹄第八巻、公論社、1955年、pp.786-787には、一生学校にいる時の気分で暮らしたいから﹁学堂﹂と号し、保安条例︵1887年︶による東京退去命令に、晴天の霹靂で非常に愕いたから﹁愕堂﹂に改め、55歳頃に自ら頭脳の衰弱を覚えたため愕字から心扁を除き、旁だけ残して更に﹁咢堂﹂と改めたと記されています。これは本文中の記述と相違するものと思われますが、より詳しい方のご意見を求めます。--211.2.112.129 2008年1月24日 (木) 13:27 (UTC)