ノート:岡山不衣
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宮沢賢治との関わりについての以下の記述を除去しました。この話は宮沢賢治側の資料︵たとえば校本宮沢賢治全集など︶でまったく確認できない逸話です。
1923年︵大正12年︶には、当時まだ無名だった宮沢賢治が投稿した詩﹃外輪山﹄︵紙面には﹁心象スケッチ 外輪山﹂のタイトルで掲載︶、童話﹃やまなし﹄・﹃氷河鼠の毛皮﹄・﹃シグナルとシグナレス﹄を紙面に採用した。
宮沢賢治の詩と童話が岩手毎日新聞に掲載されるにあたって、岡山が大きな役割を果たしたという話についての文書資料としては
●岩手の先人100人︵発行‥岩手日報社︶
●新版岩手百科事典︵発行‥岩手放送株式会社︶
の二つが見つかるのですが、これらは両方とも森荘已池の執筆によるものです。森は、宮沢賢治研究において一次資料の提供者でしたが﹁話を盛る﹂癖があり、賢治研究者たちには注意して扱うべき人物として知られています。岡山と賢治の関わりについても、森以外の情報が無い限り本文掲載は見送るべきだろうと考え、除去しました。--おーた︵会話︶ 2015年3月10日 (火) 09:48 (UTC)
森氏に﹁話を盛る癖﹂があったとして、この記述がそれに該当するかどうか、どうやって判断するのですか?貴殿の編集が成される前の記事には岡山不衣が岩手日報に勤務していたことも含めた出典がないので、﹁出典なし﹂として削除することに反対はしませんが、貴殿の判断の基準も﹁独自研究﹂になりませんか?︵他の研究者の調査等で、﹁森氏の岡山不衣についての記述に明らかな虚偽がある﹂ということが示されない限り、森氏の記述も﹁出典﹂になり得ます。どうしてもその点を気にされるなら、たとえば﹁森荘已池によると…﹂と書けば少なくとも﹁記述の根拠﹂は示されるわけです︶。もちろん、森氏がたとえば高瀬露に関する記述等において問題があると指摘されていることは私も承知していますが、それは他の研究者によって異なる見解が示されているからです。--Unamu︵会話︶ 2015年5月7日 (木) 13:45 (UTC)