ノート:橋本石洲
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![]() | この記事は2012年2月28日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
﹁出典の明示﹂﹁独自研究﹂﹁特筆性﹂各タグを追加させていただきました。文中にある著書は全て自費出版物のため、出典としては望ましくありません。この方について著名な出版社からの著書や批評、著名な俳人との連句などがありましたら寄せていただきたく存じます。タグの除去については優位な出典があれば即日、出なくてもすぐ出るものとは思えませんので、最低1ヶ月、出来れば3ヶ月は待ってからにしたいと思います。--LudwigSK 2012年2月6日 (月) 05:51 (UTC)
出典となりうべき文書を見つけましたので追加しました。併せて本文の一部を書き換えております。まだ出典が判らない部分がありますので、﹁要出典﹂タグは外しません。﹁特筆性﹂タグもまだ微妙かな。引き続き出典の追加をお願いいたします。--LudwigSK 2012年2月9日 (木) 04:16 (UTC)
著書のPDFファイルは雲夢園氏及び雪柳氏がアップロードされた物でしたが、どちらも自著・自作として登録しておりました。橋本石洲は1986年に死亡しているので有り得ず、著作権違反ファイルの虞が高いため除去しました。なお上記お二方は同一人物で、TEKEBARU氏のソックパペットであったことが判明して無期限ブロックされております。--LudwigSK 2012年2月27日 (月) 02:47 (UTC)
出典として残っておりましたPDFファイル、及び外部リンク先について二次利用のライセンスが明確ではなく、外部リンクについても出典、参考文献として掲げるに値するサイトに当たらないとのご指摘を受け、除去されております。確かに下記の記載はあるものの、二次利用については何も書いてありません。
配布した機関誌その他の資料類を誰でもいつでも自由に参照できるようにした公開の資料庫です。 — 連句結社猫蓑会ホームページ - 書庫、[1]
安全側に倒して除去に賛成いたしますが、これで出典が無くなってしまいました。当初は1ヶ月は待つと書いておりましたが、これ以上何方からも加筆は望めず、特筆性を担保出来ないと判断します。ケースEとして削除依頼を出すことに致します。--LudwigSK 2012年2月28日 (火) 03:31 (UTC)
外部リンクを除去した者ですが、Wikipedia:削除依頼/橋本石洲にも書きました通り、東明雅氏については私の不勉強であり、氏の創設した﹁猫蓑会﹂のサイトも掲載すべき外部リンクと見なしてもよく、また﹁季刊連句﹂33号も編集人・発行人が東明雅氏となっており、その中の氏の文章において橋本石洲が論じられているため、それを出典として特筆性は担保されると判断いたしました。従いまして、﹁猫蓑会﹂サイトへの外部リンクや、PDFファイル︵掲載方法には留意︶については再掲載していただいて結構です。ただし、雲夢園のサイトについては運営者︵または管理者など︶がよくわかりませんので、再掲載は反対いたします。以上、大変申し訳ございませんでした。--立花左近 2012年2月28日 (火) 15:21 (UTC)
石洲の俳風[編集]
早苗庵汀鷗︵野末重次郎︶の師匠は早苗庵知碩︵加藤多蔭︶、その師は柿園嵐牛︵伊藤豊蔭︶、遡ると青々処卓池︵鶴田光貞︶、加藤暁台︵加藤周挙︶、反喬舎巴雀︵武藤巴雀︶、中川乙由、各務支考に行き着き、岩田涼菟の神風館ではなく乙由の麦林舎の流れでした。かといって地域的には、神風館の誰かの薫陶を受けていないとは限らないのですが。これ書くと情報の合成で独自研究になっちゃうので、とりあえず記事の一部を消しておきます。--LudwigSK︵会話/記録︶ 2012年6月19日 (火) 06:09 (UTC)