ノート:王政復古 (日本)
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「辞官納地」について[編集]
慶喜が命ぜられた﹁辞官納地﹂について、お尋ね申し上げます。
この時、慶喜が﹁奉納せよ﹂と命ぜられた土地は﹁一体、何でしょうか?﹂ということです。
1・徳川将軍家が所有している土地
2・徳川将軍家および御三家が所有している土地
3・︵徳川将軍家・御三家・松平一族など︶徳川一門が所有している全ての土地
御回答、理由、出典などを明示して下さると大変有難いと考えています。どうぞ宜しくお願い申し上げます。--きまま 2008年6月12日 (木) 08:39 (UTC)きまま
﹁根拠となる出典を明記してください﹂とかならともかく、こういう調べればすぐ分かるような質問はヤフー知恵袋あたりでやるか、自分で調べるかしてもらえませんか? ノートページは執筆者の個人的な質問のために使う物ではありません。--彩華1226 2008年6月18日 (水) 16:54 (UTC)
●なお、﹁納地﹂の内容は﹁幕府領の一部﹂︵約400万石のうち200万石︶であり、1から3のどれでもありません。--彩華1226 2008年6月18日 (水) 17:25 (UTC)
お返事、有難うございます。「辞官納地」について「王政復古」ノートにて質問したのは(個人的欲求と言うより)その御回答を「王政復古」本文に生かせないか、と考えたからです。 ところで︵﹁奉納せよ﹂と命ぜられたのは︶﹁幕府領の一部﹂︵約400万石のうち200万石︶とするのは何故でしょうか? ︵何故、幕府領の﹁全部﹂ではなく﹁約半分﹂なのか、という疑問も持ってしまいます︶ ﹁何々という書籍に、かくかくしかじかと書いてある﹂という風に明記して下さると大変有難いです。どうぞ宜しくお願い申し上げます。--きまま 2008年6月19日 (木) 14:19 (UTC)きまま どうしても一般的に用いられている﹁返上﹂﹁返納﹂ではなく、﹁奉納﹂と書きたいのであれば、そうなっている出典︵啓蒙書や一般書の類は信頼ある情報源に当たらないのでやめてください︶を示していただいた上で編集してください。そうでなくればことばの解釈についての﹁独自研究﹂を振りかざした編集なので無条件で差し戻させていただきます。--彩華1226 2008年7月21日 (月) 12:32 (UTC) 私の質問に回答してくれませんか?--きまま 2008年7月26日 (土) 07:35 (UTC)きまま 一般的な概説書や、歴史事典の類であれば普通に載っていることですよ。﹁領地の一部返納﹂は高校生向けの用語集ですらしっかり書かれていますから。で、領地の﹁返上﹂﹁返納﹂を﹁奉納﹂とか神社みたいな書き方をしている出典を示してはいただけないのでしょうか。--彩華1226 2008年7月26日 (土) 16:53 (UTC) ﹁啓蒙書や一般書の類は信頼ある情報源に当たらないのでやめてください﹂と注意したにも関わらず、啓蒙書の類を参考文献に加筆されてますね。--彩華1226 2008年7月27日 (日) 06:26 (UTC)
王政、尊王など「王」への疑問[編集]
記事タイトルも記事中の表現にも、王という言葉が用いられているのは疑問だ。西欧の王政と天皇とは違うのであって、日本には西欧のようなキリスト教権力と結びついた、絶対的権力を有す王が君臨した歴史はない。それを王政復古と言ってしまうと日本にも西欧と同種の王政があったかのような誤解を生むことにならないか。「尊王思想が広がっていた」もおかしいだろう。「尊皇」と天皇の皇を使うべきだし、天皇復古とすべきではないか。西欧における王政と天皇を混同するのはやはりおかしい。--110.66.77.214 2017年9月5日 (火) 06:04 (UTC)
- 「王政復古」「尊王攘夷」とは、始皇帝以前の周王を最高位とする古典概念にもとづく。よって皇政復古と呼ばれない。西洋の絶對王政の名は明治維新まで日本に無かった。--202.241.98.93 2023年12月20日 (水) 11:31 (UTC)