Tomos 2004年10月31日 (日) 01:51 (UTC)[返信]
依拠があったかどうか
以上を総合すると、特に最後から2番目の文の一致が気になり、加えて投稿文中第3文にあたる部分もやや気になる、という印象を持ちました。
これが偶然の一致と呼べる類のものかを考えるために同じ主題を扱ったほかの外部ページを参照してみましたが、表現上、記述内容の取捨選択・配列上ともに大きく違っていました。
そこで、この類似は偶然ではない可能性が高そうだ、と感じました。また、ノート:佐々木惣一に記したように、この投稿の少し後に、別の憲法学者について同じIPから投稿があり、それがまた別のサイトと類似の文章を含んでいる、という事情からも、これは偶然ではなくて、外部ページへの依拠が原因なのではないか、と感じました。
次に、もし依拠があったとしたらこれが著作権侵害になるかどうか、という点を考えてみました。
これも、上記の、表現や内容の取捨選択、配列の上でかなり選択の幅がある2つの文について考えると、それが短いものであるという事情があるにせよ、著作権侵害になる可能性は否定できないという風に感じました。何らかの形で書き手の個性が反映されていれば短い文でも創作性を認め、丸写しの類については著作権侵害とする、というような考え方を示した判例もあるので、それを考えると、あるいはこの1,2文だけでも問題になる可能性が残るかと。特に、他のページではかなり異なる表現・内容の取捨選択と配列が見られることを考えるとそのように感じました。
以上から、明白な侵害のケースとは言いづらいですが、どちらかというと念のため削除するというのが適当のような気がしました。
Tomos 2004年11月8日 (月) 10:03 (UTC)[返信]
明治17年の留学生は全部が官費ではないので「官費留学生」を「留学生」とします。 出典:中井義幸『日東十客』の写真、鴎外、特集「森鴎外記念会三十年史」森鴎外記念会 No.57, pp.139 - 140
--Tatsubou(会話) 2014年9月21日 (日) 12:21 (UTC)[返信]
「1887年(明治20年) - ライプツィヒ大学に戻る。」の記述は根拠がありません。間違いではないでしょうか。--203.180.31.95 2014年10月30日 (木) 07:56 (UTC)SAKAE_W[返信]