| この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
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出典が通俗本だけのような記事は百科事典として相応しくありません。できるだけ第一資料を引用するか、依存した記事を作成するべきです。Authority 2004年12月31日 (金) 15:50 (UTC)[返信]
見出しをつけている人がいますが
●失脚・左遷・死亡で終わっているセクションに﹁……祟り﹂とつける
●平安から江戸期までの天神信仰を﹁平安﹂とする
などあまりにも粗雑です。またセクションの名称も百科事典の記述としてふさわしいか疑問です。
このような内容にそぐわない見出しをつけるだけの編集はやめていただきたいと思いますし、それを他の編集者に相談しないで繰り返すことにも疑問を覚えます。--Aphaea* 2005年1月16日 (日) 03:23 (UTC)[返信]
生涯という一つのまとまりの中にいくつか見出しをつけても良いと思います。人の人生には波があり、生涯のなかでもいくつか区切れる場所があると思うので、これまでにもいくつかの記事で細分化をしてきました。もし、見出しの名称が内容にそぐわないとお思いなら、名称を変更するなりの対応で良いと思います。過去の記事に戻すのはどうかと思います。--China 2005年1月16日 (日) 05:35 (UTC)[返信]
必要ないと思ったから消したのでしょう。一度付けた見出しは消してはならず改名で対応しなければならないと言うことはありません。Tietew☎ 2005年1月16日 (日) 06:29 (UTC)[返信]
私は、細分化することによって見やすくなると思っています。もし、一度付けた見出しが不要ならその理由を聞かせて下さい。--China 2005年1月16日 (日) 06:33 (UTC)[返信]
細分化によって文章の流れが切れるため、外しました。一段落や二段落にセクションをふるのはかえって邪魔になります。あなたがつけたセクションでも家系と生涯を分けるなどは残しています。--Aphaea* 2005年1月16日 (日) 06:36 (UTC)[返信]
見出しをつけ文章を切ることによって記事を見やすくするために細分化しています。--China 2005年1月16日 (日) 07:26 (UTC)[返信]
ぶつぎりになって読みづらい、といっているのですが。--Aphaea* 2005年1月16日 (日) 11:09 (UTC)[返信]
確かに、現在は記事が短く多少読みづらいかもしれません。しかし、この記事に加筆して下さるユーザーが現れた場合に大まかな道筋をつけて置く必要があると思います。--China 2005年1月16日 (日) 11:54 (UTC)[返信]
問題点をまとめました。あなたの
●見出しの区分のつけかたが文章の論理性とまったく適合していない。
●見出しの要約の仕方が内容を反映しておらず恣意的である︵これは上に指摘しました︶。
●さらに見出しの語句の選び方がしばしばWikipedia:中立的な観点に反している︵﹁暴君﹂など︶。
さらに、可読性を損なうという指摘に対して、耳を貸さないなど対話の姿勢にも疑問を感じます。すでにSafkanさんともそうしたトラブルをおこして、貴重な史学の専門家が古代中国史の執筆から手を引く宣言をすることになったことを私が指摘したのに対し、そのようなことをしていないなどご自分のしていることが分かっておられないのではないかと思います。現実に、この項目に関しても、見出しを消すことには問題がないという意見はあっても、あなたの見出しをつけたいという方針を支持される方はいません。どうしても見出しをつけたいというなら、私がとめることは技術的に不可能ですが、だからといって、そのような粗雑な標題をつけられて私の書いたものがかくも粗雑で扇情的だという印象に甘んじるつもりもありません。その場合は Safkan さんがなさったように、私が記述した部分はすべて除去いたしますので、あなたが考える﹁読みやすい﹂記事を追求なさっていただきたいと存じます。--Aphaea* 2005年1月16日 (日) 13:01 (UTC)[返信]
safkanさんのことは、生涯の項目を細分化するかしないかでした。safkanさんはいろいろと加筆をして下さいました。しかし、初めてその記事を見た方がどう思うかです。あらかじめ、一つではなく二つに分けておけば加筆をする場所を間違えずに済むと思います。また、これまでにもいろいろな記事でこの手法を取り入れてきました。今後も、この方針を変えることは無いと思います。しかし、名称に付け方については少し反省しなければなりません。私は今後も対話に応じるつもりです。--China 2005年1月16日 (日) 21:30 (UTC)[返信]
Chinaさん、Aphaeaさん、こんにちは。横から失礼します。
>しかし、この記事に加筆して下さるユーザーが現れた場合に大まかな道筋をつけて置く必要があると思います。
とのことですが、その﹁必要﹂は無いでしょう。今以上に加筆する力のある執筆者なら、他の人の筋道など必要としないからです。おまけに、ある人にとって大まかな筋道であっても、他の人には加筆の流れを妨げる障害となるかもしれません。
よって、あなた自身がそれ以上加筆なさらないなら、その﹁筋道﹂に固執するべきではありません。ことに ===出世の道を歩む道真=== と ===藤原氏の陰謀と道真の祟り=== という見出しの言葉はあまり百科事典的とは見えませんので、これらを挿入することに賛成するウィキペディアンはいないのではないでしょうか。百科事典としてはもう少し客観的な見出しが期待されているはずです。それでも残しておくことをご希望なら、﹁コメントアウト﹂<!--内容-->でお願いします。
>細分化することによって見やすくなると思っています。
について‥﹁細分化﹂にも限度があります。﹁細分化﹂とあまり百科事典的でない見出しが専門家を遠ざけるとしたら︵現にSafkanさんのような素晴らしい執筆者を中国史分野から遠ざけるという非常に残念な結果になってしまいました︶、それはこの項目にとっても、この分野にとってもマイナスでしかありません。
この項目の現状ではこれ以上の細分化は不要と思われますので、もし保護が解除されても︵コメントアウトを別にすれば︶見出しを戻さないとお約束願います。そうすれば保護解除依頼を出すことが出来ます。miya 2005年1月17日 (月) 07:21 (UTC)[返信]
===藤原氏の陰謀と道真の祟り===の部分ですが、===藤原氏の陰謀===に変更。また、===出世の道を歩む道真===を===出世の道を歩む===に変更する案はどうでしょうか?--China 2005年1月17日 (月) 13:10 (UTC)[返信]
- 春を忘るな 説がないのはなぜですか--以上の署名のないコメントは、221.113.38.12(会話)さんが 2006年5月23日 (火) 14:40 UTC に投稿したものです。
「事前に項目を立てておきましたから、どなたかこれに合わせて記事を書いて下さい」というのは、記事を書く人の意欲を減退させることになり、失礼でしょう。あくまでも記事が長文になってしまったときに、段落などを考慮して執筆者自身が項目立てするのが最適切であると思います。また、「藤原氏の陰謀」などというのは明白な事実でなく、推測に基づく一つの説に過ぎません。道真に関しては資料も少なく、また古来『トンデモ説』なども流布していますから執筆にはよほどの注意が必要です。Authority 2005年1月18日 (火) 01:46 (UTC)[返信]
上の議論に関係する議論がWikipedia:コメント依頼/Chinaでなされています。この項目の今後の編集方針についても提案がありますので、ごらんの上ご意見いただければ幸いです。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 08:30 (UTC)[返信]
「道真は胃弱だったようであり、胃の痛みを和らげるためいつもお腹の上に暖めた石(温石)を乗せていたことが文献に記されている」と書かれている。この記事の出典が不明であるが、あるいは『大鏡』の藤原時平伝に見える藤原保忠の記事を誤認したものではないか。「この大将、八条に住みたまへば、内にまゐりたまふほどいと遥かなるに、いかが思されけむ、冬は餅のいと大きなるをば一つ、小さきをば二つを焼きて、焼き石のやうに、御身にあてて持ちたまへりけるに、ぬるくなれば、小さきをば一つづつ、大きなるをば中よりわりて、御車副に投げとらせたまひける。あまりなる御用意なりかし。その世にも、耳とどまりて人の思ひければこそ、かく言ひ伝へためれ」とある。--121.114.223.160 2008年12月18日 (木) 09:22 (UTC)[返信]
- もし誤認による記述だとすると Wikipediaがデマの発信元になってしまいますのでコメントアウトしておきます。ネット上で検索しても信頼できそうな情報はみつかりません。個人ブログではかなりヒットするのですが、たぶん、Wikipediaで仕入れた情報を元に書いているのではないかと思われ、また、観光業者の案内の中に書かれているものもあったのですが、それも同様に、Wikipediaを参考にして書かれた可能性がありますので。--しまあじ 2010年5月4日 (火) 16:57 (UTC)[返信]
外部リンクが付けられていましたが、リンク先HPの性質が不明ですので一旦除去しました。単に作成者(匿名・無名)の個人的エッセイが記述されているような性格のものでしたらWikipedia:外部リンクの選び方の観点から不適切だと考えます。また和魂漢才碑については現実に存在していますので「Web上での検証可能性」にわざわざこだわる必要もないのではなかろうか(行きさえすれば誰でも見られる)。--大和屋敷 2010年6月8日 (火) 08:56 (UTC)[返信]