コンテンツにスキップ

ノート:運慶

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。



--121.82.213.72 20061129 () 12:12 (UTC)[]
確かに、これ(無著・世親像)が日本彫刻史上最高か?と言われると一点の曇りもなく「はい」といえるかなあどうかなあ、が率直な感想です。しかし、Wikipediaウィキペディアンの感想を書くところではなく、むしろ美術界においてそのような評価があるのならそれを書くのがWikipediaなのですね。一門で製作したのはそのとおりのようです。[1]--58.70.15.27 2006年12月30日 (土) 16:43 (UTC)[返信]

運慶の真作について

[編集]

268調使西稿Urania 2007321 () 16:29 (UTC)[]

東大寺の重源上人像について

[編集]

利用者:浩さんから、私の会話ページに「『作風、納入品などから運慶作にほぼ間違いないとされる作品』」に、東大寺俊乗堂の「重源上人坐像(1206年頃)』を加えたいと思いますが、ご意見をお聞かせ下さい」との書き込みをいただきました。さきざきこのページ(「運慶」)を見る人の参考のために、こちらのノートページでお答えするほうがよいかと思ったので、こちらに書かせていただきます。ノートページへにご返事する前に、本文の編集の方を先に行ってしまいましたが、ちょっとフライングだったでしょうか。もしご異議ありましたら、ここのノートページなりにご意見をお願いします。

運慶の作品一覧については、(1)真作、(2)推定作、(3)運慶作とする説があるもの、の3段階に分けてみました。(1)は、円成寺大日如来像など、「運慶作」ないし「運慶工房作」ということで、研究者間にほぼ異論がない作品です。(2)は金剛峯寺八大童子像など、像自体には銘記はない(または発見されていない)ものの、作風、史料、伝来、納入品等から運慶作と推定されている作品です。2004年に東京国立博物館が調査した個人蔵大日如来像についても、詳細な調査記録が公表されており、ここに分類してよいと思います。なお、「運慶作にほぼ間違いないとされる作品」という、誤解や論議を呼びそうな言い回しでなく、「運慶作と推定される作品」の方がよいかと思います。これらの像が「運慶作」と推定されている理由については、長くなるので割愛します。(参照:『週刊朝日百科』「日本の国宝57」所収、山本勉「康慶と運慶」)。 さて、東大寺の「重源上人坐像」はたしかに傑作で、老僧の曲がった背中、左右大きさの違う目などをリアルに表現しながら下品にならず、「このジイさん、ただ者ではない」と思わせる威厳があります。この像を造った仏師は運慶その人であるかどうかは別にしても、やはり相当の大物だと思います。いくつか調べてみましたが、『東大寺のすべて』(特別展図録、奈良国立博物館、2002)では鷲塚泰光氏が「上人の謦咳に接した慶派仏師の手」になるものであろうとしており(p36)、岩田茂樹氏は「運慶を作者に擬する説はたしかに魅力的である」(同書p175)として、慎重に断定を避けています。『週刊朝日百科』「日本の国宝53」(朝日新聞社、1998)で俊乗上人(重源)像の解説を書いている松島健氏は、運慶作ではなかろうかという含みを持たせつつも、「作者は明らかではない」とし、「慶派の有力仏師」の作であろうとしています。その他の資料もいくつか見てみましたが、専門家は一様に「生前の重源と交流のあった、慶派の有力仏師」の作であろうとしています。以上により、重源上人像については「運慶作と推定される作品」ではなく「運慶作とする説がある作品」あたりにとどめておくのが妥当と思われます。Urania 2007年3月24日 (土) 07:14 (UTC)[返信]