バンジャマン・ゴダール
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バンジャマン・ゴダール Benjamin Godard | |
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1882年撮影の写真 | |
基本情報 | |
生誕 |
1849年8月18日 フランス共和国、パリ |
死没 |
1895年1月10日(45歳没) フランス共和国、カンヌ |
職業 | 作曲家 |
バンジャマン・︵ルイ・ポール︶・ゴダール︵Benjamin (Louis Paul) Godard, 1849年8月18日 – 1895年1月10日︶は19世紀フランスの作曲家。オペラ作曲家としての成功を望み、おびただしい数の作品を遺したが、今日ではほとんどが忘れられており、かろうじてサロン小品の作曲家として記憶されているにすぎない。
ユダヤ人の家庭に生まれる。パリ音楽院でルベに和声法を、ヴュータンにヴァイオリンを師事。ヴュータンに同行して2度ドイツを訪れている。室内楽にも没頭した。
ゴダールは実にやすやすと作曲し、あらゆるジャンルにわたって大量に作曲を行なった。1876年に︽ヴァイオリン協奏曲﹁ロマンティック﹂︾︵Concerto romantique︶がコンセール・ポピュレールにおいて初演され、その他の大作もこの演奏会で上演された。
1878年に、パリ音楽院院長テオドール・デュボワと、パリ市主催の作曲コンクールにおいて優勝を分かち合った。入賞作品は合唱交響曲︽タッソーLe Tasso︾であり、ことによると最も重要なゴダール作品かもしれない。その頃から驚くほどたくさんの作品を物している。4つの歌劇のうち、︽サラメアのペドロ Pedro de Zalamea︾は1884年にアントウェルペンで、人気の﹁子守唄﹂の出典である︽ジョスラン Jocelyn︾は1888年2月25日にベルギー・ブリュッセルのモネ劇場で初演された。
そのほかに管弦楽曲やバレエ音楽、協奏曲、演奏会用序曲を数多く残しており、︽交響曲﹁伝説﹂Symphonie légendaire ︾︽交響曲﹁ゴチック風﹂Symphonie gothique ︾、管弦楽曲︽ディアーヌ Diane ︾、ピアノ曲︽マズルカ第2番︾︽ワルツ第2番︾︽Au Matin︾︽Postillon︾︽En Courant︾︽En Train︾︽Les Hirondelles︾は特筆するに値しよう。数多くの︽ヴァイオリン・ソナタ︾のうち︽第4番︾作品12は、第2楽章のスケルツォに変拍子︵5/4拍子︶を用いている。繊細この上ない歌曲も100曲以上手懸け、︽フロリアンの唄︾はさまざまに編曲されて人気を呼んだ。︽12の歌曲︾作品12では自らの詩を用いている。
ゴダール作品は、たとえ単に膨大な作品数のためにすぎないにせよ、類がない。ゴダールは割合に小規模な作品において、最も本領を発揮している。より野心的な作品のうち、最も個性的と言いうるのは、︽伝説交響曲︾であろう。
晩年のゴダールは結核に苦しみ、1892年にコート・ダジュールへ隠棲して1895年にカンヌで死去した。パリのタヴェルニーの家族の墓地へ埋葬されている。