フュウザン会
フュウザン会は、大正時代に結成された美術家集団。発起人は斎藤与里、岸田劉生、清宮彬、高村光太郎など[1]。フュウザン︵仏fusain︶は木炭の意味。設立時は、ヒュウザン会であったが、後にフュウザン会へ改名した。
経緯[編集]
1912年︵大正元年︶9月に結成、10月15日から11月3日まで第1回ヒュウザン会展を開催した︵会場は銀座の読売新聞社︶。1913年︵大正2年︶3月11日から同月30日まで第2回フュウザン会展を開催︵会場は読売新聞社︶し、同年7月に解散した。また、1912年11月には雑誌﹃フュウザン﹄を刊行する。[2] 活動期間は短いが、日本で初めての表現主義的な美術運動として、先駆的な意義を持つ。参加者は斎藤、岸田、清宮、高村のほか木村荘八、萬鉄五郎、川上凉花、岡本帰一[3]、バーナード・リーチら。ポスト印象派、フォービズムの影響がみられる。斉藤与里と岸田劉生の主張が食い違ったため、2回の展覧会を開いたのみで解散した。脚注[編集]
- ^ 石井柏亭『日本絵画三代志』創元社、1942年、190頁。
- ^ (中村屋サロン美術館 2015, p. 54)
- ^ 鈴木信太郎『美術の足音 今は昔』博文館新社、1987年、32頁。