ベッツィー・ロールズ
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Betsy Rawls | |
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基本情報 | |
名前 | ベッツィー・ロールズ |
ニックネーム | ベッツィー (Betsy) |
生年月日 | 1928年5月4日 |
没年月日 | 2023年10月21日(95歳没) |
出身地 | アメリカ合衆国サウスカロライナ州スパルタンバーグ |
経歴 | |
プロ転向 | 1951年 |
引退 | 1975年 |
以前のツアー | LPGA |
プロ勝利数 | 58勝 |
優勝数 | |
LPGAツアー | 55勝 |
他ツアー | 3勝 |
LPGAメジャー選手権最高成績 (優勝: 8勝) | |
女子ウェスタン | 優勝: 1952年、1959年 |
タイトルホルダーズ | 2位: 1952年、1953年、1959年 |
全米女子プロ | 優勝: 1959年、1969年 |
全米女子OP | 優勝: 1951年、1953年、1957年、1960年 |
受賞 | |
世界ゴルフ殿堂 | 1960年 (member page) |
LPGA賞金女王 | 1952年、1959年 |
ベアトロフィー | 1959年 |
パティー・バーグ賞 | 1980年 |
ボブジョーンズ賞 | 1996年 |
エリザベス・アール・﹁ベッツィー﹂・ロールズ︵Elizabeth Earle "Betsy" Rawls、1928年5月4日 - 2023年10月21日[1]︶は元 LPGA ツアーの米国人プロゴルファー。LPGA ツアーにおいてメジャー大会8勝を含む55勝をあげた。世界ゴルフ殿堂メンバーである。
幼少期と教育[編集]
サウスカロライナ州スパルタンバーグでロバート・ミラー (Robert Miller) とメアリー・アール・ロールズ (Mary Earle Rawls) の間に生まれ、1940年にテキサス州アーリントンに引っ越した。ラブレディーハイスクール (Lovelady High School) を卒業後、1946年にはノーステキサス農業大学︵North Texas Agricultural College、現在のテキサス大学アーリントン校︶に入学し物理学を専攻した。新入生の時点で教授会及び学部長から物理学の “Who’s Who” として認められ、ファイカッパシータの名誉会員に選ばれた[2]。翌年にはテキサス大学オースチン校に移り1950年に物理学の学位を取得して卒業した。アマチュア時代の成績[編集]
17歳の時にゴルフを始めた。1949年及び1950年のテキサスアマチュアに優勝。1949年のトランスナショナル、1950年のブロードムーア招待にも優勝した。1950年の全米女子オープンではアマチュアとして出場して準優勝した︵優勝はベーブ・ザハリアス︶[3]。プロでの成績[編集]
1951年にはプロ転向し LPGA ツアーに参加した。参加した年のサクラメント女子招待オープン (Sacramento Women's Invitational Open) でプロ初優勝した。最終的には55勝し、うち8勝はメジャー大会での優勝だった[4]。1959年にはその年の最少平均ストローク数を記録した者に贈られるベアトロフィーを獲得した。1952年及び1959年には賞金女王となり、これを含め合計9回にわたり賞金額トップ10に入った。年間優勝回数では3度のトップを飾った︵1952年に8回、1957年にパティー・バーグと並び5回、1957年には10回優勝︶。 1961年から1962年にかけてLPGAの会長を務めた。1967年にLPGAツアー殿堂が設立されたときには、初めに殿堂入りした6名のうちの一人に選ばれた。LPGA ツアー殿堂と世界ゴルフ殿堂の両方に彼女が入ったのが1960年であるので、LPGA はロールズの女子ゴルフ殿堂入りが1960年であると認識している。1975年にトーナメント競技から引退し、LPGA ツアーのトーナメントディレクターに就任[5]。1987年から2004年にかけてはデュポンカントリークラブで行われるマクドナルドLPGA選手権のトーナメントディレクターを務めた[4]。1996年、全米ゴルフ協会 (USGA) によりゴルフにおけるスポーツマンシップが認められ、その最高の名誉であるボブジョーンズ賞が贈られた[3]。プロでの勝利[編集]
LPGAツアーでの勝利︵55勝︶[編集]
●1951 ︵2︶ サクラメント女子招待オープン 、 全米女子オープン ●1952 ︵8︶ ヒューストンウェザーベーン 、 ベーカーズフィールドオープン ︵マレーネ・ハゲ 、 ベティ・ジェイムソンとベーブ・ザハリアスとタイ ︶、 シアトルウェザーベーン 、 クロスカントリー144ホールウェザーベーン 、 イースタンオープン 、 女子ウェスタンオープン 、 キャロルトンオープン 、 トーマスビルオープン ●1953 ︵4︶ バーバラロマックオープン 、 イースタンオープン 、 全米女子オープン 、 フォートワースオープン ●1954 ︵3︶ タンパ女子オープン 、 セントルイスオープン 、 テキサスオープン ●1955 ︵1︶ キャロルトンオープン ●1956 ︵3︶ タンパオープン、サラソタオープン、ピーチ・ブロッサム・オープン ●1957 ︵5︶ タンパオープン、レイクワースオープン、ピーチ・ブロッサム・オープン、全米女子オープン、リノオープン ●1958 ︵2︶ タンパオープン、セントピーターズバーグ・オープン ●1959 ︵10︶ レイクワースオープン 、 ロイヤルクラウンオープン 、 ベイブザハリアスオープン 、 ランド オブザスカイオープン 、 トライアングルラウンドロビン 、 LPGA選手権 、 マウントプロスペクトオープン 、 女子ウェスタンオープン 、 ウォータールーオープン 、 オピーターナーオープン ●1960 ︵4︶ ベイブザハリアスオープン 、 コスモポリタンオープン 、 全米女子オープン 、 アッシュビルオープン ●1961 ︵2︶ コスモポリタンオープン 、 ビルブラニンズスイングパレード ●1962 ︵1︶JEマコーリフメモリアル ●1963 ︵1︶ サンシャイン女子オープン ●1964 ︵2︶ ダラスシビタンオープン招待 、 ヴァルハラオープン ●1965 ︵2︶ ペンサコラ招待 、 ウォータールーオープン ●1968 ︵1︶ ミッキーライト招待 ●1969 ︵1︶ LPGA選手権 ●1970 ︵2︶ ダラスシビタンオープン 、 シンシナティオープン ●1972 ︵1︶ GACクラシック LPGA メジャー大会は太字で表示。その他の勝利(3勝)[編集]
- 1951 ハリウッドフォアボール(ベティ・ドッドと )
- 1954 インバネス4ボール(ベティ・マッキノンと)
- 1962 ベイブザハリアスオープン( キャシー・コーネリアスとタイ)
メジャー大会[編集]
優勝(8勝)[編集]
年 | 大会名 | 優勝スコア | 2位との差 | 準優勝 |
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1951 | 全米女子オープン | +5(73-71-74-75 = 293) | 5ストローク | ルイーズ・サグス |
1952 | 女子ウエスタンオープン | 1 up | ベティ・ジェイムソン | |
1953 | 全米女子オープン | +6(75-78-74-75 = 302) | プレーオフ1 | ジャッキー・プン |
1957 | 全米女子オープン | +7(74-74-75-76 = 299) | 6ストローク | パティー・バーグ |
1959 | LPGA選手権 | +8(76-68-69-75 = 288) | 1ストローク | パティー・バーグ |
1959 | 女子ウエスタンオープン | -1(70-76-76-71 = 293) | 6ストローク | ジョアン・ガンダーソン (a)、パティー・バーグ |
1960 | 全米女子オープン | +4(76-73-68-75 = 292) | 1ストローク | ジョイス・ジスケ |
1969 | LPGA選手権 | +1(71-72-79-71 = 293) | 4ストローク | スージー・バーニング 、 キャロル・マン |
1 18ホール プレーオフで ロールズ 70、プン 77。
関連項目[編集]
- LPGAツアー優勝者リスト
- LPGAメジャー大会優勝者のリスト
脚注[編集]
(一)^ “Betsy Rawls, a 4-time U.S. Women's Open champion, dies at age 95” (英語). Golfweek (2023年10月21日). 2023年10月22日閲覧。
(二)^ “University of Texas: Elizabeth Earle "Betsy" Rawls”. UT Physics History Site. 2019年10月8日閲覧。
(三)^ ab“Betsy Rawls – Bio”. LPGA. 2018年5月4日閲覧。
(四)^ abMyers (2014年9月4日). “DuPont club to honor Betsy Rawls on Friday”. delawareonline. 2018年2月27日閲覧。
(五)^ Barkow, Al (1986). Gettin' To The Dance Floor: An Oral History of American Golf. Atheneum. ISBN 978-0-689-11517-2