ヤン・スメテルリン
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ヤン・スメテルリン︵ポーランド語: Jan Smeterlin, 1892年2月7日 – 1967年1月18日 ロンドン[1]︶はポーランドのピアニスト。ショパンやシマノフスキの解釈でとりわけ名高く[2][3]、どの作曲家の作品にも増してショパン作品を多く録音した。さまざまなレーベルから音源が発売されている[2]。
略歴[編集]
オーストリア=ハンガリー帝国領だったシュレージエンのビーリッツ︵現在はポーランドのチェシン郡ビェルスコ︶に生まれる。幼児期から楽才を発揮して7歳で最初の演奏会を行なったにもかかわらず、法学を学ぶことを余儀なくされた。ウィーンで学習中に奨学金を得て、レオポルド・ゴドフスキーの薫陶を受ける。1920年に職業演奏家としてデビューを果たした[2]。後年はディディ夫人とともにニューヨークに暮らしたが、1967年にロンドンに戻って間もなく他界した[4]。 スメテルリンは生涯にわたって作曲家カロル・シマノフスキと、音楽家同士として、また友人同士として緊密な関係を保っていた。シマノフスキは﹃マズルカ集﹄作品50の第3巻︵通し番号で第9曲~第12曲︶をスメテルリンに献呈しており[5]、スメテルリンはシマノフスキの作品を頻繁に演奏した。 スメテルリンは料理にも情熱を注ぎ、レシピ集を執筆した。但し出版されたのは死後のことである。註[編集]
- ^ Baker's Biographical Dictionary of Musicians, Seventh Edition, Revised by Nicolas Slonimsky, Schirmer Books, New York, 1984, page 2151.
- ^ a b c The International Piano Archives at The University of Maryland, biographical description with collection
- ^ The New York Times, obituary, "Jan Smeterlin, Pianist, 74, Dead," January 20, 1967, page 37
- ^ The International Piano Archives at the University of Maryland, biographical description with collection.
- ^ "Correspondence and Essays," by Karol Szymanowski, Jan Smeterlin, B. M. Maciejewski, Felix Aprahamian, Allegro Press, 1969