ヴィオレット・ヴェルディ
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ヴィオレット・ヴェルディ︵Violette Verdy、本名ネリー・ギヨーム︵Nelly Guillerm︶、1933年12月1日ポン=ラベ-2016年2月8日︶はフランスのバレエダンサー・バレエ指導者である[1]。1970年後半にダンサーを引退した後はダンス・カンパニーの監督等として活躍した[2]。
経歴[編集]
幼少期からバレエを始め、パリでルーサンヌ夫人とヴィクトール・グソフスキーに学ぶ[3]。1945年に設立されたローラン・プティのバレエ・デ・シャンゼリゼにソリストとして参加。その後、バレエ・デ・パリ︵1950年設立、1953年–1954年︶、ロンドン・フェスティバル・バレエ︵1954年–1955年︶、ミラノのスカラ座︵1955年–1956年︶、アメリカン・バレエ・シアター︵1956年–1957年︶で踊る[4]。キャリアの長きにわたりニューヨーク・シティ・バレエ団︵NYCB︶のプリンシパル・ダンサーを務めた︵1958年-1977年︶。NYCB在籍中、ジョージ・バランシンはヴェルディのために多くの役を創作した。その代表的な物に﹁ジュエルズ﹂のエメラルド、﹁チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ﹂、﹁泉﹂、﹁ソナチネ﹂がある。また、ジェローム・ロビンズの﹁ダンシズ・アット・ア・ギャザリング﹂、﹁イン・ザ・ナイト﹂も彼女のために振り付けられた作品である[4]。 音楽と調和したクリアなダンスが特徴で、最高のバランシン・ダンサーの一人とされている[5]。バランシンは、ヴェルディについて﹁とても雄弁な脚を持っている。脚で物を語る﹂と評した[6]。 NYCB引退後、パリ・オペラ座バレエ団芸術監督に就任[2]。1980年には、ボストン・バレエの共同監督となった[2]。その後、インディアナ大学ブルーミントン校において音楽︵バレエ︶の特別教授、フィラデルフィアのザ・ロック・スクールでアーティスティック・アドバイザーを務めている[2][4][7]。 ヴェルディは、フランスのレジオンドヌール勲章︵シュヴァリエ︶を、2009年6月15日にパリ・オペラ座ガルニエ宮で行われた私的なセレモニーで、ボルドー・オペラ座総監督であるティエリー・フーケから授与された[8]。ほか、多くの記事の執筆や雑誌への寄稿も行っており、著書にマーシャ・ブラウンがイラストを描いた子供のためのバレエ本﹁Of Swans, Sugarplums, and Satin Slippers﹂︵白鳥、こんぺい糖、そしてサテンの靴のこと︶がある。 2016年2月9日、パリ・オペラ座はヴェルディが居住先のアメリカ合衆国で8日に死去したことを発表した[2]。映像[編集]
- Violette Verdi (vaimusic.com) - YouTube (チャイコフスキー・パ・ド・ドゥのヴァリアシオン、2:15-)
脚注[編集]
(一)^ “Violette Verdy”. 2011年12月3日閲覧。
(二)^ abcde“元パリ・オペラ座バレエ団の芸術監督でもあったヴィオレット・ヴェルディさん死去”. バレエニュースダイジェスト (2016年2月10日). 2016年2月17日閲覧。
(三)^ “Violette Verdy”. Encyclopædia Britannica. 2011年12月3日閲覧。
(四)^ abc“Distinguished Professor -- Founders Day 2005”. 2011年12月3日閲覧。
(五)^ Martha Ullman West. “Violette Verdy ballet's Descartes - awarded CORPS de Ballet International”. 2011年12月3日閲覧。
(六)^ Violette Verdi (vaimusic.com). 2011年12月3日閲覧。
(七)^ “Artistic advisor”. 2011年12月3日閲覧。
(八)^ “On Stage: PBT — Ten from Forty”. 2011年12月3日閲覧。