ヴィラ・ファルネジーナ
ヴィラ・ファルネジーナ、ファルネジーナ荘 (Villa Farnesina) はローマにある2階建てのヴィラ。“ルネサンスの宝石”と称され、ラファエロなどのフレスコ画で知られる[1]。バチカンの南に位置するトラステヴェレ地区内、ジャニコロの丘の東端とテヴェレ川に挟まれた辺りに位置する[1][2]。
このヴィラはシエナの富裕な銀行家で、教皇ユリウス2世の会計係でもあったアゴスティーノ・キージの依頼により建てられた[3]。1506年から1510年の間に、シエナの芸術家でブラマンテの弟子であったバルダッサーレ・ペルッツィが、おそらくジュリアーノ・ダ・サンガッロの支援を受けて、デザインおよび建築を行った。完成は1520年という[1]。これはローマのガイドブックによれば、内部装飾まで完了した時点が1520年ということであり、また当時はヴィラ・キージと呼ばれていた[4]。この時期の都市型のパラッツォは通常ファサードがストリートに面したかたちで建てられるが、このヴィラは側面を見せている。プランはコの字型で、アームとアームの間には5ベイのロッジアが渡されている。当初は北側、ロッジアの側が入り口であった︵図では下方︶。現在の入り口は南側︵図では上方︶で、右手︵東側、図では左方︶にあるチケット売り場からガラテアの間︵図ではSala di Galatea︶へ行き、次いでロッジア︵図ではLa Loggia、アモーレとプシュケの間とも[1]︶、帯状装飾の間︵図ではSala del Fregio、フリーズの間︶という順路となっている[5]。
1500年代終わりにアレッサンドロ・ファルネーゼによって買い取られたが、川向うのパラッツォ・ファルネーゼと区別するため、こちらは特にファルネジーナと発するようになっている[5]。
1714年にはブルボン家の所有となった[6]。その後曲折を経て1928年にはイタリア王立アカデミーの本拠地となる計画があった。しかし1944年にアカデミー自体が禁止されしてしまうと、アッカデーミア・デイ・リンチェイの所有となって現在に至る。賓客を迎えるための施設として使われるとともに[5]、内部の部屋やロッジアに見学者も受け入れている[5][7]。
ギャラリー[編集]
脚注[編集]
(一)^ abcdefghi阿部美寿穂 (2014年9月11日). “ラファエロの美しいフレスコ画が圧巻、ヴィッラ・ファルネジーナ。”. 地球の歩き方ホームページ. 地球の歩き方メディアパートナーズ. 2019年5月2日閲覧。
(二)^ ﹃地球の歩き方 ローマ﹄に記載の観光地。
(三)^ 以下、本段落は特記ない限り下記文献による。
●Coffin David, The Villa in the Life of Renaissance Rome, Princeton University Press 1979, p. 91
(四)^ Touring club italiano﹃Roma﹄Touring club italiano︿Guida d'Italia /Touring Club Italiano﹀、2007年、593頁。ISBN 9788836541348。
(五)^ abcd“ヴィッラ・ファルネジーナ” (PDF). ヴィッラ・ファルネジーナ. 2019年5月2日閲覧。
(六)^ 以下、本段落は特記ない限り下記文献による。
●“Accademia Nazionale dei Lincei - VILLA FARNESINA”. Accademia Nazionale dei Lincei. 2019年5月2日閲覧。
(七)^ “Accademia Nazionale dei Lincei - General information - Information on visits to the Villa Farnesina”. 2006年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月2日閲覧。