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三次藩︵みよしはん︶は、広島藩の支藩。江戸時代中期まで備後国北部を領有した。藩庁として三次に三次陣屋が置かれた。知行高は5万石。
寛永9年︵1632年︶初代広島藩主・浅野長晟の庶子で長男の長治が三次郡・恵蘇郡を与えられ立藩した。享保4年︵1719年︶4月、4代・長経は13歳︵幕府への届出上、実際には11歳︶で没し一旦は広島藩領となったが、同年11月、長経の弟・長寔に相続が認められた。しかし、長寔も翌、享保5年︵1720年︶10歳︵実際には8歳︶で没したため廃藩となった。忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の正室、阿久里のお里方(実家)である。
歴代三次藩主[編集]
浅野家
5万石 ︵1632年 - 1720年︶
- 長治
- 長照
- 長澄
- 長経
- 長寔