下谷教会
下谷教会︵したやきょうかい︶は、東京都台東区にある、メソジスト系の日本基督教団の教会である。
沿革[編集]
1879年 ●2月11日 築地明石町講義所でにおいて評議会が開かれ、ジョージ・ミーチャムが議長になり、細井高省、橋本睦之、竹内俊齋、平岩愃保の4人の牛込教会︵現、日本基督教団頌栄教会︶会員を委員に選定して、日本家屋を購入した。そして、竹内俊齋、土屋とし︵後の土屋彦六夫人︶、和田たか、木村力蔵ら牛込教会員が移った。 ●12月21日 東京仲御徒町2丁目38番地に日本メソジスト下谷教会が設立される。初代牧師は杉山彦六︵1884年に土屋としと結婚し、土屋彦六となる︶であった。[1] 1880年7月 杉山彦六牧師、 甲府教会に転任。平岩愃保牧師が牛込教会より赴任し、2代目牧師となる。[1] 1881年9月18日 ジョージ・ミーチャムが山中笑、平岩愃保、土屋彦六、浅川広湖ら4人に下谷教会で按手礼を授ける[1]。 1882年1月 平岩愃保牧師、 甲府教会に転任。浅川広湖牧師、牛込教会より赴任し3代目牧師となる。[2] 1884年4月 浅川広湖牧師、 甲府教会に転任。山中笑牧師、静岡教会より赴任し4代目牧師となる。[2] 1885年4月 山中笑牧師、 牛込教会に転任。外山孝平伝道師、5代目牧師となる。[2] 1888年 ●4月頃 本郷駒込東片町に下谷教会付属の駒込講義所を設置。伊藤為吉らが出席していた。[3][4] ●11月 外山孝平伝道師、デイヴィッドソン・マクドナルド宣教師より按手礼を受ける。[3] 1889年 ●3月25日 駒込講義所の会堂で伊藤為吉の結婚式を行う。司祭はチャールズ・イビー宣教師。[4] ●3月31日 駒込講義所を駒込教会と改める[3]。 1890年 ●3月1日 駒込教会の会堂を献堂。設計施工は伊藤為吉。[3][5] ●6月 橋本睦之牧師、駒込教会初代牧師となる。 ●7月 外山孝平牧師、病気のため休養[3]。駒込教会の橋本睦之牧師が兼牧する。 1891年6月 外山孝平牧師が教会を去る。原野彦太郎牧師が赴任し、6代目牧師となる[6]。 1893年6月 原野彦太郎牧師、牛込教会に転任。小沢孫太郎牧師が赴任し、7代目牧師となる。[6] 1895年 ●3月頃 小沢孫太郎牧師、教会より去る[6]。 ●6月 山中笑牧師、再任し8代目牧師となる[6]。 1896年 駒込教会、西片町に移転。 1900年5月 山中笑牧師、牛込教会に転任。飯沼権一牧師、9代目牧師となる。[7] 1903年4月 台東区東上野3丁目に土地を購入する[7]。 1904年5月 三上操吉牧師赴任。10代目牧師となる[8]。 1905年9月5日 暴徒に襲われ教会が破壊される[8]。 1907年 ●9月 三上操吉牧師、急性肺炎のため死去[8]。 ●11月 中川邦三郎牧師赴任。11代目牧師となる[8]。 1911年6月24日 新会堂献堂[9]。 1912年 中川邦三郎牧師、三田教会に転任。吉田利管牧師、12代目牧師となる。[10][11] 1918年 ●3月 吉田利管牧師、高田教会に転任[10][11]。 ●4月15日 三浦金吉牧師、13代目牧師となる[10][11]。 1919年 ●三浦金吉牧師が教会を去る[10][11]。 ●4月6日 矢内哲牧師、西部御影教会より赴任し14代目牧師となる[10][11]。 1923年 ●9月2日 会堂を関東大震災で焼失する[12]。 ●11月10日 焼跡にバラックの会堂を建てる[12]。 1927年4月 矢内哲牧師、九段教会に転任。勝部武雄牧師赴任し、15代目牧師となる。[12] 1928年12月 牧師館完成[13]。 1930年6月1日 鉄筋コンクリートの現会堂が献堂[13]。 1931年 ●3月29日 勝部武雄牧師、青山学院へ転任[13]。 ●4月5日 吉田利管牧師着任し、16代目牧師となる[13]。 1934年 ●3月 吉田利管牧師、浅草教会に転任[13]。 ●4月 森田茂牧師着任し、17代目牧師となる[13]。 1935年2月12日 幼稚園が東京府より認可される[14]。歴代牧師[編集]
主な会員[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c 日本メソヂスト下谷教会六拾年史. 日本メソヂスト下谷教会. (1939). pp. 37-38
- ^ a b c 日本メソヂスト下谷教会六拾年史. 日本メソヂスト下谷教会. (1939). pp. 49-50
- ^ a b c d e 日本メソヂスト下谷教会六拾年史. 日本メソヂスト下谷教会. (1939). pp. 63-64,74-76
- ^ a b 村松貞次郎 (1994年7月28日). やわらかいものへの視点 異端の建築家伊藤為吉. 岩波書店. pp. 111-112
- ^ 駒込教会会堂完成の時期は 『やわらかいものへの視点 異端の建築家伊藤為吉』には1889年、 『下谷教会六拾年史』には1890年 とある。 ここでは下谷教会の記録を採用している。
- ^ a b c d 日本メソヂスト下谷教会六拾年史. 日本メソヂスト下谷教会. (1939). pp. 85-87
- ^ a b 日本メソヂスト下谷教会六拾年史. 日本メソヂスト下谷教会. (1939). pp. 99-101
- ^ a b c d 日本メソヂスト下谷教会六拾年史. 日本メソヂスト下谷教会. (1939). pp. 115-116
- ^ 日本メソヂスト下谷教会六拾年史. 日本メソヂスト下谷教会. (1939). pp. 131-132
- ^ a b c d e 日本メソヂスト下谷教会六拾年史. 日本メソヂスト下谷教会. (1939). pp. 145-148
- ^ a b c d e 本メソヂスト下谷教会六拾年史のこの期間は、年表の西暦表記と元号表記が1年ずれている。ここでは、元号表記の記述を正と判断している。
- ^ a b c 日本メソヂスト下谷教会六拾年史. 日本メソヂスト下谷教会. (1939). pp. 161-162
- ^ a b c d e f 日本メソヂスト下谷教会六拾年史. 日本メソヂスト下谷教会. (1939). pp. 175-178
- ^ 日本メソヂスト下谷教会六拾年史. 日本メソヂスト下谷教会. (1939). pp. 191-195
参考文献[編集]
- 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
- 『日本メソヂスト下谷教会六拾年史』日本メソヂスト下谷教会、1939年
- 村松貞次郎 著『やわらかいものへの視点 異端の建築家伊藤為吉』岩波書店、1994年7月28日