中村常三郎 (実業家)
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中村 常三郎︵なかむら つねさぶろう、1882年︵明治15年︶8月26日 - 1970年︵昭和45年︶2月2日︶は、日本の起業家、銀行家。石油・肥料商。日州無尽株式会社、宮崎無尽株式会社、宮崎相互銀行︵ともに現在の宮崎太陽銀行︶の社長を務めた。子に中村地平︵治兵衛︶。宮崎太陽銀行創業者の1人。
来歴・人物[編集]
宮崎師範学校附属小学校卒業。当初は石油・肥料商を本業としていたが、副業として1913年に宮崎貯金株式会社を設立し、同年に仲田房吉︵初代社長︶らと合流して日州興業貯金株式会社設立に参加する。同社は1915年に無尽業法が制定されると日州興業無尽、1929年に日州無尽と商号を変更していくが、この間常三郎は役員として経営に参与するものの、あくまで本業は石油・肥料商であった。 1931年に多田有機の後任として日州無尽の3代目社長に就任した。1941年に日州無尽は日向無尽や高鍋無尽、昭明無尽と合併して宮崎無尽が設立され、1951年に相互銀行法の施行に伴い、宮崎無尽を宮崎相互銀行に商号変更し、引き続き社長を務めた。 1961年に社長を退任して、次男の中村治兵衛︵地平︶に譲り、取締役も退任して宮崎相互銀行の経営から身を引き[1]、1970年に死去した。栄典[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 「宮崎相互銀行二十年史」(宮崎相互銀行、1963年 、isbn=B000JAFAMY)
- 「宮崎相互銀行三十年史」(宮崎相互銀行、1972年)
ビジネス | ||
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先代 多田有機 |
日州無尽株式会社社長 第3代:1931年 -1941年 |
次代 (合併) |
先代 (合併新設) |
宮崎無尽株式社長 :1941年 -1951年 |
次代 (相互銀行転換) |
先代 (相互銀行に転換) |
宮崎相互銀行社長 初代:1951年 -1961年 |
次代 中村治兵衛 |