今井喜八
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今井 喜八︵いまい きはち、1857年5月21日︵安政4年4月28日[1][2][3][4]︶- 1928年︵昭和3年︶5月11日[5]︶は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・藤田、幼名・長之助[2]。
経歴[編集]
武蔵国江戸、のちの東京府東京市[6] 浅草区馬道町1丁目[3]︵現東京都台東区雷門︶で、藤田久兵衛の二男として生まれる[2][4]。1874年︵明治7年︶8月、馬道の質商・伊勢屋[3]、先代今井喜八の養嗣子となり[3][4]、1885年︵明治18年︶2月、家督を相続した[2]。 質商を営み、中央製糖︵のち大日本製糖︶取締役、台湾拓殖取締役、内国通運社長などを務めた[2][3][4][5][6][7]。また、浅草銀行を設立して頭取に就任し、その後、豊国銀行と合同して同行取締役となった[7][8]。 政界では、浅草区会議員、同区会議長、東京市会議員、同参事会員、市区改正委員、市学務委員などを務めた[3][4][5][6][7][8]。立憲同志会からの強い要請を受けて[3]、豊国銀行取締役を辞して[3][7]1915年︵大正4年︶3月、第12回衆議院議員総選挙に東京府東京市から出馬して当選し[3][9]、その後憲政会に所属し衆議院議員に1期在任した[5][6]。この間、衆議院決算委員などを務めた[3]。著作[編集]
- 松谷元三郎との共著『日本人の大多数を支配する親鸞教徒の理想』松谷元三郎・今井喜八、1918年。