元谷外志雄
もとや としお 元谷 外志雄 | |
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生誕 |
1943年6月3日(81歳) 日本 石川県小松市 |
別名 | 藤誠志 |
出身校 | 石川県立小松高等学校 |
職業 | 実業家 |
団体 |
アパグループ 航空自衛隊小松基地金沢友の会 |
肩書き | アパグループ会長[1] |
配偶者 | 元谷芙美子 |
子供 | 元谷一志(長男)、元谷拓(次男) |
公式サイト | 元谷 外志雄 |
元谷 外志雄︵もとや としお、1943年6月3日 - ︶は、日本の実業家。2022年4月現在アパグループ会長[1]。ペンネームは藤誠志。
経歴[編集]
幼少期は父の事業を手伝っていた。1962年、石川県立小松高等学校を卒業。小松信用金庫︵当時、現在のはくさん信用金庫︶に入庫。並行し、慶應義塾大学経済学部通信教育部に通う︵のちに中退︶。北陸に拠点を置く金融機関の労働組合の会合にて、福井信用金庫に勤務していた西川芙美子と知り合い、結婚する。9年後に退社し、注文住宅販売会社﹁信金開発株式会社﹂︵のちアパ株式会社︶を創業[2]。33歳でマンション事業を起業。マンションやホテル、レストラン事業などを中核とする14の企業から成るアパグループの代表となる。人物[編集]
●自ら編集長を務める月刊誌﹃アップルタウン﹄︵毎月5万5千部発行︶に、﹁藤誠志﹂のペンネームで社会時評エッセイを執筆している[3]。
●﹁真の近現代史観﹂懸賞論文を主催し、大賞は自身のペンネームを冠し﹁最優秀藤誠志賞﹂としている。この懸賞をめぐっては、2008年に田母神俊雄が航空幕僚長を更迭される田母神論文問題の原因となったことから、元谷は歴史学者から﹁歴史修正主義のプロモーターともいうべき人物﹂と評されている[4]。
●李登輝[5]、金泳三[6]、森喜朗[7]、リチャード・アーミテージ[8]、ドミトリー・プロホロフ[9]などと対談を行ったことがある。
著書[編集]
●﹃異端児の哲学 快刀乱麻―自らの世界観で時代を駆け抜ける男﹄北國新聞、1993年5月30日。ISBN 978-4833008075。 ●﹃事業はロマン﹄致知出版社、2003年5月。ISBN 978-4884746483。 ●﹃報道されない近現代史 ―戦後歴史は核を廻る鬩ぎ合い﹄産経新聞出版、2008年4月。ISBN 978-4863060586。 ●﹃誰も言えない国家論﹄産経新聞出版、2010年6月9日。ISBN 978-4863060722。 ●誇れる祖国、日本︵シリーズ全8巻︶幻冬舎 ●誇れる祖国 日本復活への提言︵シリーズ全3巻︶ ﹁藤誠志﹂名義の著書 ●﹃迷走日本に﹁喝﹂!世紀末日本を問う ―藤誠志の体験時評集I―﹄北國新聞社出版局、2017年2月20日。ISBN 978-4833010054。家族[編集]
●妻の芙美子はアパホテル株式会社取締役社長。 ●長男の一志︵いっし︶は、グループ統括会社のアパグループ株式会社代表取締役社長兼CEO[1]。 ●次男の拓は、アパグループ株式会社代表取締役専務[1]。脚注[編集]
(一)^ abcdアパグループ新体制へ移行 元谷一志 アパグループ社長兼CEOに就任 - PR TIMES・2022年3月25日
(二)^ “時代を創った女たち”. キャリアデザインセンター (2006年10月24日). 2015年10月17日閲覧。
(三)^ 藤誠志 社会時評エッセイ アップルタウン公式
(四)^ 剣持久木﹁公共史のための弁明——岡本充弘氏の書評に応えて﹂﹃現代史研究﹄第66号、現代史研究会、2020年、21頁。
(五)^ 元台湾総統・台湾総合研究院名誉院長 李 登輝﹁天下は公の為に。﹂[リンク切れ]﹃アップルタウン﹄2002年7月号
(六)^ 元韓国大統領 金 泳三﹁特別対談﹂[リンク切れ]﹃アップルタウン﹄2002年10月号
(七)^ 元内閣総理大臣 森 喜朗﹁社会主義的社会からの脱却を﹂[リンク切れ]﹃アップルタウン﹄2003年2月号
(八)^ 元アメリカ国務副長官 リチャード・アーミテージ﹁日本はアジアでもっと積極的な役割を果たせ﹂[リンク切れ]﹃アップルタウン﹄2006年4月号
(九)^ 特別対談 ドミトリー プロホロフ 元谷外志雄| 1928年の張作霖の爆殺事件はソ連の特務機関の犯行だ[リンク切れ] APA CORPORATE CLUB