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加藤 新三郎︵かとう しんざぶろう、1882年 - 1957年[1]︶は、日本の地方政治家。東京府清瀬村︵現在の清瀬市︶の村長を務めた。父の加藤鉄五郎︵1858年 - 1932年︶も村長を務めている。
清瀬村会議員を経て、1926年に父の鉄五郎が村長を辞任した折に、後任として就任する。[要出典]。
1927年、東京府が府立結核療養所の清瀬設置を決定すると、新三郎は反対した。いったんは取りやめになったものの、翌年、再び設置を決定すると、新三郎らはさらなる反対の議決と、それに同意する地元住民の陳情書を提出し、当地への結核療養所の設置に反対の意思を示した[要出典]。
1930年に村長を辞任。その後、結核療養所は小島長太郎が村長の時代に設置された[要出典]。
新三郎はその後、別の職業に就く。太平洋戦争後、再度村会議員になるが、短期間で辞職した[2]。
1957年に75歳で死去。
- ^ 清瀬村誕生120周年記念写真展実行委員会(編)『写真集清瀬・村から町へ、そして市へ 120年のあゆみ』清瀬市郷土博物館、2010年、[要ページ番号]
- ^ 『多摩の人物史 古代より現代まで800人』武蔵野郷土史刊行会、1977年、[要ページ番号]