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南条 信正︵なんじょう のぶまさ、生没年未詳︶は、安土桃山時代の武将。南条宗皓の三男で南条宗勝の弟に当たる。子に信光、隆光。左衛門尉、備前守。通称は九郎左衛門。
南条一族として、南条家家臣団を束ねる重臣の筆頭格として活躍した。初見は天正3年︵1575年︶10月14日付の﹃吉川家文書﹄所収﹁南条信正他14名連署起請文﹂で、南条九郎左衛門尉として登場し、南条家の主要な家臣が名を連ねる中、筆頭で署名している。
長兄・宗勝亡き後に当主となった南条元続の後見人であったと考えられており、翌天正4年︵1576年︶10月には﹁備前守﹂として見え、次兄の元信から﹁備前守﹂の名を受け継いだとされる。
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