原ハムレット
﹃原ハムレット﹄︵げんハムレット、Ur-Hamlet ︶︵"Ur-" はドイツ語で﹁起源の﹂を意味する接頭辞︶は、1589年以前、すなわちシェイクスピア作の﹃ハムレット﹄︵1600年前後?︶以前に存在したと考えられる、作者不詳の戯曲の便宜上の名称である。シェイクスピアも、先行するこの劇を参考に、﹃ハムレット﹄を著したと考えられている。
言及されている史料[編集]
1589年、劇作家トマス・ナッシュ︵Thomas Nashe︶はロバート・グリーン︵Robert Greene︶の Menaphon の序に、次のようなことを書いている。﹁蝋燭の光のそばで読まれた英訳のセネカは、﹁血は物乞い﹂など、多くの良い名言を生み出した。そして、もしあなた方が、凍るような朝に恐怖を懇願するなら、彼は諸々のハムレットを与えることができようし、私は少しばかりの悲劇的台詞を言うことになろう[1]﹂。 興行主・演出家のフィリップ・ヘンズロー︵Philip Henslowe︶の日記には、1594年に﹃ハムレット﹄が上演されたという記述があり、また1596年には、医師トマス・ロッジ︵Thomas Lodge︶が﹁劇場で哀れに泣く亡霊、牡蠣売りの女のように、ハムレット、復讐せよ!﹂と書いている[2]。作者は誰か[編集]
ナッシュは先と同じ文章の中でトマス・キッド︵Thomas Kyd︶にも言及した。キッドは﹃ハムレット﹄と類似性のある﹃スペインの悲劇﹄︵The Spanish Tragedy︶を1582年から1592年の間に書いている。そのため、トマス・キッドが﹃原ハムレット﹄の作者だとする意見が多かった[3]。 ハロルド・ブルーム︵Harold Bloom︶ら少数の研究者たちは、シェイクスピア本人が﹃原ハムレット﹄の作者であり、﹃ハムレット﹄は作者自身が昔の作品を書き直したものだというピーター・アレキサンダーの説を受け入れた[4]。アルフレッド・ケーンクロスも﹁何か新しい説がそれと正反対のことを示すまでは、1589年のナッシュおよび1594年のヘンスローが言及した劇がシェイクスピアの﹃ハムレット﹄に他ならないという説は当然と思われる[5]﹂と、この説を支持した。反ストラトフォード派も、﹃原ハムレット﹄なるものは存在せず、あの言及は、一般に考えられている時期より早い時期にシェイクスピアの﹃ハムレット﹄が書かれ、数度かにわたって改訂されたことを示す証拠に過ぎない、とこの説を支持している[6]。しかし、ハロルド・ジェンキンスはこの説を却下している。 いずれにせよ、﹃原ハムレット﹄は現存しないため、文体論的・言語学的比較は不可能で、キッドを作者とする証拠も、この劇がシェイクスピア本人による初期のヴァージョンであるという証拠も共にない。脚注[編集]
- ^ Nashe quoted in Jenkins, p.83
- ^ Jenkins, p.83
- ^ Jenkins, p.83-4
- ^ Bloom, pp. xiii, 383
- ^ Alfred F. Carincross, The Problem of Hamlet: A Solution, London, Mcmillan, 1936
- ^ Charlton Ogburn Jr., The Mystery of William Shakespeare, Cardinal, 1988, pg 631
参考文献[編集]
- Bloom, Harold, Shakespeare: The Invention of the Human. New York, 1998.
- Hamlet, Prince of Denmark, Philip Edwards, ed. Cambridge, 2003. Original Edition 1985. (New Cambridge Shakespeare)
- Hamlet, Harold Jenkins, ed. Methuen & Co., 1982. (The Arden Shakespeare, Second Series)