坂井大輔
坂井 大輔︵さかい だいすけ、1887年︵明治20年︶10月16日[1] – 1932年︵昭和7年︶5月9日[2]︶は、日本の衆議院議員︵立憲政友会︶、逓信参与官。武道教師[3]。玄洋社社員[4]。
経歴[編集]
福岡県福岡市出身。福岡県立中学修猷館を経て、1913年︵大正2年︶に早稲田大学専門部政経科を卒業[5]。その後、ワシントン大学で政治問題・社会問題を研究し、アメリカ合衆国西北部日本人専任幹事を務めた[3]。1919年︵大正8年︶、渡欧してパリ講和会議を視察した。帰国後、外務省嘱託となり、1921年︵大正10年︶からは福岡日日新聞通信員を務めた[3]。ワシントン会議では加藤友三郎全権代表の随員を務めた[3]。 1924年︵大正13年︶、衆議院補欠選挙に出馬し、当選を果たした[6]。その後、第15回衆議院議員総選挙から第18回衆議院議員総選挙まで連続当選を果たした。この間、1927年︵昭和2年︶には、議会乱闘事件に関与したとして公務執行妨害、傷害の容疑で起訴。同年12月16日に懲役三か月、執行猶予1年の判決を受ける[7]。 この後、1931年︵昭和6年︶に発足した犬養内閣では逓信参与官を務めた。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。