堀田正頌
堀田 正頌︵ほった まさつぐ、天保13年11月13日︵1842年12月14日︶ - 明治29年︵1896年︶5月11日︶は、下野国佐野藩の最後の藩主。堀田家正高流分家8代。
堀田正修の長男。官位は従五位下、左京亮、摂津守、信濃守。
生涯[編集]
父が早世したため、嘉永3年︵1850年︶2月9日に祖父の正衡の継嗣となる。安政元年︵1854年︶11月29日、祖父の死去により13歳で家督を継いだ。若年のため、西村茂樹が補佐役となって藩政を取り仕切った。藩校・観光館を設立するなど、優れた政治手腕を見せている。安政4年︵1857年︶9月15日、将軍徳川家定に拝謁する。同年12月16日、従五位下・摂津守に叙任する。後に右京亮、摂津守に改める。 慶応4年︵1968年︶4月4日、新政府軍に武器を献上する。同年10月23日、明治天皇に拝謁する。明治2年︵1869年︶6月22日、版籍奉還により佐野藩知事に任じられた。明治4年︵1871年︶7月15日、廃藩置県により退任する。同年9月6日、東京に移住する。1884年︵明治17年︶7月8日、子爵を叙爵した[1]。家族[編集]
父母 ●堀田正修︵父︶ 養子脚注[編集]
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (佐野)堀田家初代 1884年 - 1896年 |
次代 堀田正路 |