大久保雅彦
大久保 雅彦︵おおくぼ まさひこ、1870年8月2日︵明治3年7月6日[1]︶- 1922年︵大正11年︶6月6日︶は、日本の衆議院議員︵立憲政友会︶、弁護士。
経歴[編集]
伊予国越智郡蔵敷村︵現在の愛媛県今治市︶出身。1886年︵明治19年︶、松山中学校を卒業[2]。英吉利法律学校︵東京法学院、現在の中央大学︶で英語法学を学び、1889年︵明治22年︶に首席で卒業[2]。その後も穂積陳重のもとで学んだ[3]。1892年︵明治25年︶に弁護士試験に合格し、松山市に事務所を開いた[3]。 1902年︵明治35年︶、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 三・一運動の際には、花井卓蔵・木尾虎之助らとともに、騒擾罪に問われた孫秉煕ら指導者の弁護にあたった[4]。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
- 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。