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大間成文抄

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大間成文抄(おおまなりぶみしょう)は、鎌倉時代初期に九条良経によって著された、除目における任官の先例を分類集成した史料集。全10巻。引用された事例などから、建久5年〜8年(1194年1197年)頃に著されたと推定されている。

書名と内容

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西[1]

1-56-9103[2]

89871196300[3][4]

執筆経緯

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51194268[5]1112711[6][7]

諸本

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122761497西459[8]西

5[9]56483910[10]8107135959

翻刻

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  • 新訂増補史籍集覧、別巻1『除目大成抄(大間成文抄)』臨川書店、1973年(流布本)
  • 吉田早苗校訂『大間成文抄』吉川弘文館、1993-1994年(九条本)

写真版

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脚注

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  1. ^ 吉田早苗「『大間成文抄』と『春除目抄』」、547頁。
  2. ^ 吉田「『大間成文抄』と『春除目抄』」、567頁。
  3. ^ 吉田「『大間成文抄』と『春除目抄』」、608頁。具体的には、藤原道長から九条良経までの直系の人々(ただし、大臣就任の直後に摂関に昇った藤原頼通を除く)と、藤原教通藤原頼長
  4. ^ 吉田「『大間成文抄』と『春除目抄』」、608-609頁。
  5. ^ 吉田「『大間成文抄』と『春除目抄』」、609頁。『玉葉』建久6年正月15日条による。
  6. ^ 吉田「『大間成文抄』と『春除目抄』」、609-611頁。
  7. ^ 吉田「『大間成文抄』と『春除目抄』」、606頁。
  8. ^ 流布本の巻四の奥書には「第四・第五・第六」の欠巻を教実自筆本で補ったと記されているが、九条本と流布本の内容からみて、「第六」は「第九」の誤りと推測される(吉田「『大間成文抄』と『春除目抄』」、572-574頁)。
  9. ^ 吉田「『大間成文抄』と『春除目抄』」、574頁。
  10. ^ 吉田「『大間成文抄』と『春除目抄』」、568-572頁。
  11. ^ 巻10下の大間書の訂正方法について、流布本よりも原態をよく伝えている(吉田「『大間成文抄』と『春除目抄』」、563頁)。

参考文献

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  • 吉田早苗「『大間成文抄』と『春除目抄』」土田直鎮先生還暦記念会編『 奈良平安時代史論集』吉川弘文館、1984年
  • 時野谷滋「除目大成抄」『国史大辞典』7、吉川弘文館、1986年 ISBN 978-4-642-00507-4
  • 黒板伸夫「除目大成抄」『日本史大事典』3、平凡社、1993年 ISBN 978-4-582-13103-1
  • 吉田早苗「大間成文抄」『平安時代史事典』角川書店、1994年 ISBN 978-4-040-31700-7
  • 近藤好和「除目大成抄」『日本歴史大事典』2、小学館、2000年 ISBN 978-4-09-523002-3