姉崎天神山古墳
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姉崎天神山古墳 | |
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墳丘全景(右に後円部、左奥に前方部) | |
所属 | 姉崎古墳群 |
所在地 | 千葉県市原市姉崎2489 |
位置 | 北緯35度28分27.56秒 東経140度3分14.25秒 / 北緯35.4743222度 東経140.0539583度座標: 北緯35度28分27.56秒 東経140度3分14.25秒 / 北緯35.4743222度 東経140.0539583度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長128m(推定全長130m) 高さ14m(後円部) |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | なし |
築造時期 | 4世紀前半-中頃 |
史跡 | 千葉県指定史跡「姉崎天神山古墳」 |
地図 |
![]() |
姉崎天神山古墳︵あねさきてんじんやまこふん︶は、千葉県市原市姉崎にある古墳。形状は前方後円墳。姉崎古墳群を構成する古墳の1つ。千葉県指定史跡に指定されている。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e8/Anesaki_Tenjin-yama_Kofun%2C_funkyu-1.JPG/220px-Anesaki_Tenjin-yama_Kofun%2C_funkyu-1.JPG)
後円部から前方部を望む
中央は菅原神社。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Anesaki_Tenjin-yama_Kofun%2C_funkyu-2.JPG/220px-Anesaki_Tenjin-yama_Kofun%2C_funkyu-2.JPG)
前方部から後円部を望む
墳丘の規模は次の通り[3]。
概要[編集]
養老川下流左岸の台地上に築造された大型前方後円墳である[1]。姉崎地域では、大型前方後円墳数基を含む姉崎古墳群の築造が知られ、本古墳はそのうちの1基になる。本古墳のくびれ部には後世に建てられた菅原神社︵天神社︶が鎮座しており、古墳名はこれに由来する[2]。これまでに発掘調査は実施されていない[1]。 墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける[1]。墳丘長は現存128メートル︵推定130メートル︶を測り、姉崎古墳群中では最大規模、房総地方でも前期古墳としては最大規模になる[1]。前方部は未発達で古い様相を示す[1]。墳丘周囲では、南側から東側にかけてのみ周溝が巡らされたと見られている[1]。発掘調査がなされていないため埋葬施設は明らかでなく、埴輪などの遺物も得られていない。 この天神山古墳は、墳形・立地から4世紀前半-中頃︵古墳時代前期︶の築造と推定される[1]。姉崎古墳群は﹃先代旧事本紀﹄﹁国造本紀﹂に見える上海上国造の首長墓群と想定され、本古墳もその1つとされる[3]。姉崎古墳群中では今富塚山古墳に後続し[1]、釈迦山古墳に先行する築造とされる[3]。なお、本古墳の南西側では円墳として宝蔵寺古墳・宝蔵寺2号墳があったが、現在は失われている[1]。 古墳域は1968年︵昭和43年︶に千葉県指定史跡に指定されている[2]。遺跡歴[編集]
●1947年︵昭和22年︶、姉崎二子塚古墳の発掘調査に伴う周辺遺跡の調査の際、古墳として認知[2]。 ●1968年︵昭和43年︶4月9日、千葉県指定史跡に指定[2]。 ●1974年︵昭和49年︶、明治大学考古学研究室による測量調査[1]。 ●1993年︵平成5年︶、千葉県教育委員会による測量調査[1]。墳丘[編集]
- 墳丘長:128メートル(推定全長130メートル)
- 後円部
- 直径:60メートル
- 高さ:14メートル
- 前方部
- 幅:55メートル
- 長さ:65メートル
- 高さ:8メートル
- くびれ部
- 幅:32.5メートル
- 高さ:10メートル
文化財[編集]
千葉県指定文化財[編集]
- 史跡
- 姉崎天神山古墳 - 昭和43年4月9日指定[2]。