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宇治 友成︵うじ ともなり︶は、阿蘇神社の大宮司。延喜3年2月叙爵[1]。
平安時代の延喜年間に、友成は、阿蘇家20代目当主にして、最初の阿蘇大宮司となる人物である[2]。
それまでは阿蘇国造家として知られていたが、やがて神主から宮司となり、友成の治世に大宮司職を司ることとなる。
なお兄は宇治友利であり、友成は弟にあたる。兄弟で阿蘇を治めていた。
友成は、世阿弥の創作した能﹃高砂﹄に登場する人物である。﹃古今集﹄を撰集された醍醐天皇の時代、それまで阿蘇神社の神主であった友成は、上洛中、播磨国加古郡の高砂の浦で、和歌の神である老人夫婦に出会う。老翁は高砂の松の精霊、老婆は対岸の住吉の松の精霊である。
友成は、﹁高砂の松と住吉の松とは場所が離れているのに、なぜ相生の松と呼ばれるのか﹂と問う。
二人の精霊は、友成の問いに対して、﹁相生の松﹂のいわれを教え、人の世を言祝ぎ、国土安穏を祝うとともに、﹃万葉集﹄の昔と変わらず歌道が繁栄する今の帝の御世を讃える。友成は、高砂の松の実を受け取り、阿蘇神社の境内に育て、これを﹁高砂の松﹂と呼んだ。
- ^ 『阿蘇家文書』
- ^ 柳田快明『中世の阿蘇社と阿蘇氏』戎光祥出版、2019年3月1日。